自分で判断せよ
6月5日(月)
管長様が企業の坐禅会で提唱されたことをまとめてみました。
お釈迦様がある村に説法に行った時のこと、その村の人は
「私はあなたの言うことを聞こうという気にならない。どうしてかと
いうと、この村にはいろいろな宗教者、哲学者、教祖などが来て
どの人も自分の説こそ、正しい・真実であると言う。そこで私達は
一体、誰が言うことを信じたらいいか、わからない状況にあります。
だから、あなたが説いても、私達は受け入れることができない。」と
申し上げました。
それに対してお釈迦様は「あなた方が言うことは正しい。
人の言うことを鵜呑みにしてはいけない。昔のしきたりだからと
鵜呑みにしてはいけない。権威ある人が言ったことだからと
鵜呑みにしてはいけない。古い教典に書いてあるからと鵜呑みに
してはいけない。立派な教祖の言葉だからと鵜呑みにしてはいけない。
何が正しいか、間違っているかは自分で判断しなさい。」と言いました。
何がわたしにとってふさわしいのか?これを実践したら、世の中
どうなるのか?周りの人、良識ある人はこれをどう見るであろうか?
地下鉄サリン事件の実行犯が供述したそうです。地下鉄に乗って
最後にサリンの入った袋を傘で突く時に「こんなことをしていいの
だろうか?」と思ったと。「何の関係もない周りの乗客をいっぺんに
殺傷してしまっていいのか?」と一瞬思いをかすめたと。
それが本心なんです。しかし、残念なことに次の瞬間、「尊師の
仰せになったことはいつわりはない。」と自分の本心を打ち消して
サリンをついてしまった。
尊師の命令だ、何だと、これだけ心が汚染されていても
「こんなことをしていいのだろうか?」と人間の本心ははたらく
のです。
何が正しいことで何が間違っているかを判断することの
できる心を私達は生まれながらにみな持っているのです。
ただ、それを貪瞋痴によってくらましてしまっているだけ
なのです。
このいのちを傷つけるもの、暗くさせてしまうものは避けた方が
いいし、間違っている。逆にめいめいのこれほど尊いいのちを
明るく活かすもの、活きたはたらきをすることは正しいことで
あります。それは、その基準ははっきりしているのです。