苦労の分だけ
6月3日(日)
管長様が土日坐禅会で提唱されたことをまとめてみました。
(1年で一番厳しい)臘八大攝心にずっと来ていた(居士の)
上野二郎さんという方がいました。この方は、傷痍軍人で
岩手県の雫石から、毎年、臘八になると一週間、修行に
来ていました。
当時は豊かではないから、鎌倉への旅費を作るのに、
春ウサギを買って、それを育てて秋に売っていたそうです。
一週間分のお米を持って居士林に来て、そこから僧堂に
つめていました。一週間の修行が終わると、残ったお金で
居士林の下駄や傘を直して帰られました。
上野さんが帰っていく様子をある和尚さんが見ていると
円覚寺境内の杉の木、1本1本に丁寧に合掌低頭されて
いたそうです。その様子をその和尚さんは、「上野さんの
心境の深さ、禅の深さを見た」と表現されています。
1年を一週間の修行、その為に尽くす。全身全霊、坐り
抜いて、「なるほど、草も木も1本1本が有り難い!」と
気づく。これは理屈ではないんです。そういう気持ちなんです。
それには体究錬磨して自分で「ああ、なるほど!」と気づくしか
ない。自分で苦労した分だけ、骨を折った分だけ自分の心境に
なるのであります。
<居士林・堂外>