命のぬくもり
2月12日(日)
管長様が本日の日曜説教会で提唱されたことをまとめてみました。
「ぬくもりの 残れるセーター たたむ夜
一日(ひとひ)の命 両手にいとしむ」
この寒い時期になるとふと思い起こす歌であります。
実はこの歌は、40年前頃、死刑囚が寒い独房の中で
歌ったものであります。
夜、寝る前に今日一日着ていたセーターをたたむ。その時に
かすかなぬくもりが残っているのを両手で感じながら、自分の
一日生きた、命のぬくもりというものをなんともいとおしく思うという
歌であります。
命とはいったい何であるか?抽象的にいろいろと言われていますが
この歌で歌われている「両手に感じるぬくもり」こそ命そのもの
生きている何よりの証ではないでしょうか。
この死刑囚の方は、死刑になる前の晩に次の歌を
読まれました。
「この澄める 心あるとは 知らずして
刑死の明日にせまる夜ぬくし」
こんなにきれいな澄んだ心が自分にもあると気がつかずに
きてしまった。しかし、この心があると気づいてからは、死刑の
前の晩といえども温かい心持ちでいられる。
お釈迦様は、人間として生きる教えを生涯説かれました。
涅槃というと死を連想してしまいますが、本来は煩悩の火を
吹き消して本来の自分に目覚めることであります。消える
のではなく、自分のいただいた命を完全燃焼することである
とある方は仰せになっています。
お釈迦様がお悟りになったことは、私達はみんな生まれ
ながらにあたたかい心を持っているということであります。
本来持っているこのあたたかい心を取り戻すのが大切で
あります。
その為にこの命のぬくもりというものを有り難いと感じとって
この命あることを有り難いと心から感じて、少欲・知足です。
自分のわがまま・欲望を制御して人にあたたかく接することが
お釈迦様の教えであります。
(後記) 今日の日曜説教会は、350人以上の方が
拝聴されていたようです。たいへん寒い中に
にもかかわらず、盛況でありました。
有り難うございました。