察してあげること。
11月6日(日)
管長様が本日の土日坐禅会で提唱されたことをまとめてみました。
例えば、みなさん方が人には言えないような悩みや苦しみを
お持ちになることがあるだろうと思います。それについて、誰かが
手助けしてくれる、手を差し伸べてくれることがあったとしても
やっぱり、ギリギリの所は自分で解決するより他に無いんであります。
そういう時、自分がどれだけ苦しんでいるか・どれだけ悩んでいるかを
わかってくれる人・察してくれる人が、もし、いたらどれだけ大きな力と
なりましょう。余計な手・余計なことをしてくれるより、自分が悩みを
抱えている状況を察してくれる人の存在がどれだけ大きいことか。
「あなたもたいへんだなあ。」「あなたも苦労しているんだなあ。」と
言葉には出さずともわかってくれるだけでどれだけ救われることか。
神社やお寺に行くと私達は手を合わせます。それは、神様・仏様が
全部私達のことを見てくださっているから、全部私達のことを知って
下さっているからだろうと思います。そう思うことが大きな救いの力と
なるのです。
坐禅のねらいは大慈・大悲といいますが、それこそ自己の心の鏡を
磨いて目の前の人のわずかな苦しみや悩みを察してあげることであります。
そこにこの人を「なんとかしてあげよう」とか「どうにかしてあげよう」と自分の
考えが交じるとかえってその人を行き詰まらさせてしまいかねません。
それより、自分の心を何でも映し出す明鏡のようにしてその人のことを
よくわかってあげることが大事であります。それが一番の慈悲なのではないかと
思います。