自己を忘じた時・・・
10月6日(木)その2
管長様が昨日、淡青会坐禅会で提唱したことをまとめてみました。
公案修行(修行僧に禪の問題を与えて探究させる修行)の一番の
大きな意味は、禪の問題に四六時中集中することによってそれ以外の
雑念・妄想をどんどん減らしていくことにあります。
坐禅しているときはもちろん、歩いているとき、横になっているとき、
お手洗いに行くときでも問題にに集中することによって、それ以外の雑念・妄想は
自ずから消えていきます。過去のこと、これからのことといろいろと
考え込んでしまいますけれど、少なくとも問題に集中しているうちは、
それらのことは忘れています。そして、忘前失後(前・後ろを忘れ)前後裁断
(過去・未来を断ち切り)、問題と一つ、一枚になったところに
お釈迦様やダルマさんと寸分違わぬ、私達の本来の心に気づきます。
問題に全身全霊に集中して自己を忘じた時、初めて私達の心の本性が
はっきりします。なくなったものをいつまでも追いかけていても
苦しみは増ばかり。他人のことといつまでも比べていても、これもまた
苦しみは増えてしまいます。
自分を忘れるくらい何かに本気で集中することによって、私達は
自分の内に「これは尊いものがある!」と気が付くのであります。