謙虚に慎ましく。
7月3日(日)
管長様が土日坐禅会で提唱されたことをまとめてみました。
原子力の問題もそう、わからないことをさもわかった気持ちになることは、
いかにおろかなことか。いかにおろかなことになってしまう
ことか。わからない中に謙虚に暮らしていく知恵が必要だ。
北の国からというドラマがあり「遺言」という回でお父さんが
子どもに語っている。「ここには、何もないが自然だけは多くある。
自然はお前えらを死なない程度には毎年食わせてくれる。自然から
頂戴できる。だから、謙虚に慎ましく生きよ。これが父さんの
お前たちへの最後の遺言だ。」
大自然の中で我々は何を知っているのか?本当に知っているもの
など何もない。(原子力もそう。知っているつもり、理解しているつもりが、
ああいう大惨事になってしまった。)いかにわからないものであるか
ということが、(物事を追究すればするほど)やればやるほど痛感される。
なるほど、やればやるほど大自然の中でいただくものをいただいて、
生きていくんだというものの見方の大切なことがなおのことわかる。
説明のしようがない、わからない中で、わからないままに生かされている
ことの尊さにもう一度目覚めるべき時ではないか?
(後記) 管長様は、午前中だけでも居士林提唱を行い
本山での法要、黄梅院での法要に出席されていました。
本当に、お疲れ様です。