僧堂攝心6日目
11月25日(木)その2
老師が僧堂攝心で提唱されたことをまとめてみました。
私たちの迷い悩みのおおもとは、心の向けようにある。
一心の向けようによって、仏ともなり鬼ともなる。
普段私たちは心を内から外に向けてしまいがち。
心の外に向かって好きな音楽、おいしいものなど自分に心地のいいものを
求めてしまう。でも、実はその外に求める心が迷いの根本なのだ。
迷い苦しみから解放されたいなら、その流れをかえよう!
流れをかえて心を外から内にむけよう。
この聞いているものはなにものか?
この見ているものはなにものか?
この意識はどこにあるのか?
絶えず自分に問いかけてみよう。
最新の脳科学の研究でも、いくら脳の中を解明しても意識の主体は
見当たらないとのことだ。意識記憶はこの虚空に充満していて、
私たちは個々の脳神経を通してその一部を受けているということも
言われている。
臨済禅師も遙か昔に同じ事をおっしゃています。
その聞いているものはどこにあるのか?を追究していくと
姿形はないけれど、この世界一杯に充満しているものと。
いくらさがしても、「この聞いているもの」は見当たらないと気づくと
そこは、只一枚の仏心の世界。天地一杯の自分。
(後記)先週から1週間ばかり風邪をひいて休んでおりましたが、おかげさまで快復しました。
ブログも更新できず、坐禅会も代わっていただくなど、いろいろとご迷惑をおかけしたこと
お詫び申し上げます。
みなさんも体には十分に気をつけてくださいますように。