提唱 日曜説教会
6月13日(日)
老師が日曜説教会で提唱されたことを私なりにまとめてみました。
山本玄峰老師は19歳で失明宣告を受け死に場所を求めて四国遍路に出かけ
裸足参りで7回り目に たまたま臨済宗のお寺の前で行き倒れになって
そこの和尚に救われた。
出家志望の山本青年にその和尚は
「(あなたの目は見えなくなるかもしれないが)本当に修行して
心の目を開けば 本物のお坊さんになることができる。」と言った。
では 心の目を開くとは何だろう?
禅宗では 「見性(けんしょう)」といって 本心本性を見ること。
玄峰老師はそれを「性根玉(しょうねだま)」と呼んでいる。
「みがいたら みがいただけの 光りあり
性根玉でも 何の玉でも」
平たく言えば
あらゆる命あるもの 生きとし生けるものみんな
仏様の心を持っていると気づくこと!
仏様の心とは 相手への 思いやりの心 慈悲の心
でも現実は 自分の都合ばかり考えてしまうから
本来の心がくもってしまう。
「心こそ 心迷わす 心なれ 心に心を 心ゆるすな」
では どうすれば本心本性をみがけるか?
自分のことばかりを考えること改めて相手を思いやること。
おかげさまと感謝の気持ちを持ってまわりの人に少しでも
思いやりの心を持って接していくことが大事。