提唱 碧巌録45則(その一)
5月16日(日)
老師が土日座禅会で提唱されたことを私なりにまとめてみました。
「仏教の肝心要の所は何ですか?」の問いに
昔の禅僧は、
「庭前の柏樹子。」
「この冬瓜はえらくおおきいなあ。」
「大きい石は、大きい。小さい石は、小さい。」
「私は、どこぞにおったときに衣を作ったよ。
それが重たいやつでね。」
とそれぞれがそれぞれにお答えになっている。
それは、決して自分と関わりのない外の景色を言ったのではなく
みんな自己の姿を言っている。
自分のこの一呼吸のうえに、
この体 この心 この暮らしのうえに、
日常のなにげない暮らしのなかに、
キラキラと輝くすばらしいものがあることを。
しかし、私たちは普段それらを見過ごしがちだ。
柏の木に 石ころに 感動することがあるか?
みな 自己の姿
いまこうして なんでもないことに
驚きと感動がある。
「目を開いて 自然が見える
それだけで 幸せであると思う
耳が澄んで 鳥の声が聞こえる
それだけで 幸せであると思う
息を吸って はくことが出来る
それだけで 幸せであると思う」
という詩があります。(下2行は老師が付け加えたものです。)
また、「小さきは 小さきままに花咲ぬ
野辺の小草(のべのおぐさ)の
安けさをみよ」
という短歌もあります。
私たちは かんたん なにげないものほど
そのものの 本当のありがたさを見失っていないでしょうか?
以上のようなお話をされました。
(後記)明日は 老師の入院中の逸話を紹介します。