4月18日
老師が提唱されたことを私なりにまとめてみました。
坐禅をしていると、迷いの様子が客観的にわかるようになる。
自分の小さな頭の中で、小さいことをクヨクヨと考え、
問題をおこしている。
理屈をつけようとするから、問題になる。
わけのわからないことは、わけのわからないで構わない。
ドドーンと太鼓がなったら、自分がドドーン。
花が咲けば、自分が咲いている。
小さな自分とらわれることなく、
頭をからっぽにして
大千世界(限りなく広い世界)をひっくるめた坐禅をしたいものだ。
そのようなことをお話しされました。