「臨済」のいわれ
円覚寺僧堂では7月5日より1週間の制末大攝心が始まりました。
今回の攝心の提唱では、横田南嶺管長が『臨済録』をその序文よりお説きくださっています。
以下はその一節です。
臨済宗は、改めて言うまでもなく臨済禅師の教えであります。
臨済禅師とは、今から千二百年ほど前の中国唐代の禅僧であります。
黄檗禅師のもとで修行されて、真定府の臨済院に住されて説法されました。
今の中国の河北省石家荘市正定県にあたります。
「臨済」という名前の由来ですが、これは『臨済録』の序文に
「院、古渡に臨んで往来を運済す」とありますように、そのお寺が古い渡し場に臨んでいたということに依っています。
済は渡し場という意味です。渡し場に臨んでいるから「臨済」という簡単な由来なのです。
しかし、ここにも深い意味があると思います。
渡し場というのは、昔は川で物を輸送しましたので、大事な物流の拠点であります。
そこに自ずと町が形成されて、人が多く集まっていました。
臨済禅師は、同時代に活躍された徳山和尚を、
高い山の頂上に坐っていて誰も寄せ付けない人だと評しています。
臨済禅師はこういう生き方をあまりよく思ってはいないのです。
誰も寄りつかない高い境地に坐るのではなくて、十字街頭にいながら、
俗世に迎合せずに、それでいて多くの人に接して、
その往来の人達を迷い苦しみの世界から悟りの世界へと運び渡してゆこうという願いをもっていたものだと思われます。
そんな思いのこもったのが「臨済」という名前になっているのだと私は受け止めています。
この現実の世の中に背を向けるのではなく、そのそばにいながら、
それでいて迎合せずに染まらずに、多くの人を導いていこうというのが臨済禅師の願いでありましょう。
(7月7日の提唱より)
臨済禅師1150年大遠諱 日中合同法要で河北省・臨済寺を訪問(2017年9月)