何を悟るか
シャガとバッタ
よく禅の語録を読んでいますと、豁然と悟ったであるとか、省有りという言葉が出てきます。
省有りとは、気がついたという意味です。
では、いったい何を悟り、何に気がついたのでしょうか。
東嶺和尚の『入道要訣』のはじめには、「人々具足スル本性ト、三世諸佛ノ本性ト無二ナリ。功徳莊嚴モ均シ。光明赫奕タリ。」
という言葉がでてきます。意訳しますと、お互いの本来具えている心の本性と、三世諸仏の本性とは同一であって、
その功徳も素晴らしさも全く同等であって、光輝くものだというのです。
仏の心と私たちのこの心とは一つであったと気がつくのであります。
この事を明らかにして納得いくことが悟りにほかなりません。何を悟るのかというのは、
お互いの心が仏の心と一つであったと悟るのであります。
逆にこの事を見失ってしまった状態を迷いというのであります。見失ったが為に、
外の世界にばかりに執着してしまうのです。
そうしてどのように迷いを起こし、どのように苦しみを引き起こしているのかということを
よく学んで明らかにしておくと、再び迷う道理はないのであります。
{横田南嶺老師 入制大攝心提唱より}