迷いの原因は無知
円覚寺専門修行道場(僧堂)では、今日から26日までの、大攝心(1週間に及ぶ
坐禅集中修行期間)に入りました。以下は、今日の横田南嶺老師の提唱です。
我々が迷いや苦しみを引き起こす一番の原因は、無知であると仏陀は説きました。
無知なる状態から、何かしらの力がはたらいて意識が生まれます。
その盲目的な意識がこの体にはたらくようになって、六根という目や耳や鼻や舌や身体や精神の上には活動します。
すると外の世界に触れて、自分にとって何か心地好い、好ましいものには愛着を生じます。
愛着を起こすと更に自分のものにしたくなります。
そうして自分のものという概念が生まれます。
自分のものを集めて大事にし、さらにもっと増やしたいという生き方が出来てきます。
そのように生きて活動して、自分の思うままにゆくと悦び、思うままにならぬと苦悩するという生涯を送ります。
しかし、やがては老い衰え、そして最後はすべてを手放し、死を迎えます。
一切は無常であり、自分という孤立したものはないにも関わらず、
自分のものにしたい、もっと増やしたいという思いによって苦しみを造り出すのです。
苦しみの原因は、無常であることを知らない、自分という孤立したものはないことを知らない、無知にあります。
これを無明と言います。
まずは、どのようにして、私たちが苦しみを造り出しているのを、よく観察します。
それが十二因縁を観じるという修行であります。