一大転換
無知であることこそ迷いのおおもとであり、智慧をもって、この世が無常であり、
孤立したものはないという真理を見つめて、
我執によって引き起こされる苦しみから解脱することを目指したのが、
お釈迦様の説かれた仏教でありました。
ところが、禅では、その迷いのおおもとである無知、
すなわち無明が仏性だと説くのであります。
まさに一大転換であります。
無明というのは、何もわからない状態であり、智慧をもって無くすべきものとされていたのですが、
無明こそ渾沌として自他の区別もない、何も分別されるものもない一如の世界であるとしたのであります。
我々の坐禅では、無になりきって坐って、我も人も区別が無くなり、有るも無いも無い一枚の世界に入ってゆくのです。
そしてそれこそが仏心であると気がついたのです。
無の世界こそが仏心の光明に満たされていたと目覚めたのであります。
そうして何もないところから自由に出て来るはたらきが尽く仏の作用であると説いたのであります。
禅は、それまでの仏教から一大転換した教えでもあります。
{ 横田南嶺老師 僧堂提唱より}