精進こそ不死の道
六波羅蜜の中に、精進波羅蜜がございます。
精進や禅定や智慧などは八正道にも通じるもので、
仏陀の教えの根幹ともなるものです。
精進とは勤め励むことであります。
お釈迦様は、自らのことを「精進論者」であるとも語っておられます。
精進、即ち勤しみ励むことは、お釈迦様が生涯貫かれたことであります。
『法句経』の中に、
「精進こそ不死の道、放逸こそ死のみちなり。
いそしみはげむ者は死することなく
放逸にふける者は生命ありとも
すでに死せるにひとし(法句経二一)」とあるほど、精進を大切に説かれました。
同じ『法句経』に
「人もし生くること百年ならんとも
おこたりにふけり はげみ少なければ
かたき精進にふるいたつものの
一日生くるにおよばざるなり(法句経百十二)」とまで説かれているほどです。
実にお釈迦様のご生涯は、精進努力の八十年であったと言えましょう。
ご自身がお亡くなりになる前に、最後に弟子となったスバッダという修行者に、
「スバッダよ、わたしは二十九歳で善を求めて出家した。
出家してから五十年余となった。
正理と法の領域のみを歩んで来た。
これ以外に道の人なるものも存在しない」と語られたことからもうかがえます。
出家して五十年善を求めてひたすら正しい道を歩み、精進を重ねられました。
悟りを開かれてからも決して安穏していたわけではなく、
八十歳で涅槃に入るまで、旅を続け法を説き続けられました。まさに精進の八十年です。
そして最後のお言葉も、
「すべてのものはうつろいゆく おこたらず精進すべし」でありました。
精進、精進、精進努力こそ、われら仏弟子として仏陀にならう道であります。
{ 横田南嶺老師 僧堂提唱より}