一念が迷いの世界を造る
円覚寺専門修行道場(僧堂)では、今日から26日までの、大攝心(1週間に及ぶ
坐禅集中修行期間)に入りました。
横田南嶺老師をはじめ、雲水、居士、禅子らが禅堂に詰めて坐禅修行に
打ち込んでいます。
以下は、今日の横田南嶺老師の提唱です。
一念の疑いを起こしてしまうと、この道を進むことを妨げる大きな障害となってしまいます。
一念の愛欲が、大水のようになって、そこに自分自身が溺れてしまうことになってしまいます。
一念の瞋が、火となって、自分も他人も燃やしてしまうことになってしまいます。
一念の浮かれた喜びが、風のように吹かれ翻されてしまいます。
疑いは大地のように堅固なもので、道の妨げとなり、
愛欲は水のように溺れてしまい、
瞋は火のように燃えてしまい、
喜びは風のように吹かれてしまうと、
『臨済録』では、一念の迷いを地水火風の四つの元素に分けて説かれています。
一念が迷いの世界を造り出してしまうのです。
しかし、同じ『臨済録』には、一念が仏であるとも説かれているのです。
一念の清らかな光が本来の仏であり、
一念の思慮分別の交えない光が自身の仏なのだと説かれています。
一念が迷いの世界を造ることにもなれば、その一念が仏でもあるのです。