円覚寺・華厳世界の具現化を願う寺②
横田南嶺管長が昨日の報恩大攝心で提唱されたことをまとめてみました。
華厳の世界は、へたをするとすべて毘盧遮那仏の現れであるというので、
努力をしなくなってしまう悪弊もあるのですが、しかしながら、華厳の教えは
そんな努力をしないという教えでは決してなくして、そこには、発願という
ものがでてくるのであります。
願いを起こす。それぞれ、それぞれがかけがえのない存在なのであります。
しかし、それが今一度願いを起こして光り輝く。多くの人々の為に尽くして
いこうという大きな願いを起こしていくことです。
その一つの存在は小さな光かもしれないけれども、光を放つ。
そして、その一つ一つが光を放っていけば、一つの光はたとえ小さくとも
全体に影響を与えていくのであります。
自分自身はたとえ小さな光でも、光り輝きさえすれば、その光は自然と回り全体へと
伝わっていく。それが因陀羅網(いんだらもう)の世界です。一つ一つの光が全体に
影響を及ぼし全体の珠に映える。これが華厳の重々無尽の縁起観です。
この重々無尽に基づいて、一隅を照らすではありませんが、自分の与えられた場所で
一生懸命につとめて、ささやかであっても光を放つ。
その光が全体に伝わっていくのであります。禅は華厳の教えが大きく根本にある
円覚寺は、この華厳を具現化した寺です。