「人にして不仁なる、これをにくむこと…」
郭林宗(かくりんそう)という後漢時代の儒者がいました。「貞にして俗と絶せず」と評されたように、
貞節を保つ儒者でしたが、俗世と縁を絶ちきったわけでもありません。 多くの人達から慕われていたようで、
雨に降られて、頭巾の角が折れてしまうと、人々はあえて自分の頭巾の角を折ってマネをしたようです。
そこから「折角」という言葉が生まれたという説もあるほどです。
あるとき左原という学生が、法を犯して排斥されてしまい、たまたま出会った郭林宗が、
酒宴を設けて彼を慰めました。
郭林宗は、昔から法を犯した者でも後に取り立てられて大成した人物もいるから、
決して人を恨んだりせぬように諭しました。
まわりの人は、法を犯した人と関係を絶たないといって郭林宗のことを批判しました。
その時に郭林宗が答えたのが、論語の言葉でした。
「人而不仁疾之已甚乱也」
「人にして不仁なる、之(これ)を疾(にく)むこと已甚(はなはだ)しきは乱(らん)す。」と読みます。
貝塚茂樹先生の訳によれば、人道にそむいた人間もあまり正面から憎悪すると反乱をおこすにちがいないという意味です。
金谷治先生は「人が道にはずれたからとてそれをひどく嫌いすぎると(対立がきびしくなって)乱暴する」と訳しています。
「ろくでなしを、ひどくにくむと、ただではすまぬ」という訳もあります。
たとえ道にはずれた人でも、憎み過ぎるとまた乱を起こしかねないというのです。
なかなか奥深い言葉です。さすが孔子の言葉だと思います。
どんな世界、どんな組織にもどうにもならないような者はいるものです。ただそれをあまりに憎みすぎてしまうと、
却って憎悪を深めてしまい、よい結果には到りません。
案の定、後に左原が怒りをおさえきれずに人を集めて、自分を排斥した郡の学生たちに報復しようとしました。
しかしその日には、郭林宗がその郡の学校にいたため、左原は郭林宗の忠告を裏切ったことを羞じて報復をあきらめたのでした。
多くの人は、改めて郭林宗に感謝したということです。
中国の古典には奥深い人間洞察による知恵がございます。この話なども今の世にも、どの世界にも通じるものでありましょう。
単純にきれい事では世の中はすまされません。いろんな者が寄せ集まっていて、精妙な調和が取れているのでしょう。
(平成30年11月20日 横田南嶺老師 入制大攝心 『武渓集提唱』より)