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臨済宗大本山 円覚寺

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2018.11.26

「至誠(しせい)」

「至誠」とは、この上なく誠実なこと、まごころを表します。

 中国の古典『孟子(もうし)』には「誠は天の道なり。誠を思うは人の道なり。

至誠にして動かざるものは、未だこれ有らざるなり」という言葉があります。

 「天地万物にあまねく貫いているのが誠であり、天の道である。

この誠に背かないようにつとめるのが人の道である。

まごころをもって対すればどんな人でも感動させないということはない」という意味です。

 まごころをもって接すれば、どんな人でも動かせる力があるということ表し、

この「至誠にして動かざるものは、未だこれ有らざるなり」の一言は

幕末の志士吉田松陰が大事にしたと言われます。

 ただし、その至誠、まごころは一時だけのものに終わってはなりません。

 これも中国の古典『中庸(ちゆうよう)』には「至誠無息(至誠息(や)むこと無し)」とあります。

 この上ない誠実さ、まごころを持って生涯を貫くことです。

『中庸』には「至誠息むこと無し」の後に「息(や)まざれば久(ひさ)し。

久しければ徴(しるし)あり」と続きます。

 「この上ない誠実さ、まごころを怠ることなく、あきらめずに保てば長く勤めることが出来る。

長く勤めれば必ず目に見えるしるしが顕れる」という意味になります。
 
 吉田松陰が大事にしたということからも、この至誠なるものは大きな力を持っていることが分かります。

あの徳川幕府を終わらせて明治という新しい近代国家を造り上げた原動力でもあります。

私もこの言葉に感動し、大事にしてきました。

 しかしながら、二十代や三十代の頃と違って、この頃は少々違和感も覚えるようにもなりました。

どんなに至誠でもって頑張っても無理なこともあります。また無理を至誠で押し通そうとするのも、

膨大な力が必要です。

 吉田松陰などは、その無理とも思われたことを成し遂げる原動力になったので、

多くの人から慕われるのでしょうが、この頃は私にとっては、それは無理をしているように

段々と思われるようになってきたのです。確かに明治維新はすばらしいのですが、

勇み足だったところもあり、その為に失ってしまったものもありましょう。

 今北洪川老師が『禅海一瀾』の中で、この「至誠息(や)むこと無し」の一語を取り上げておられます。

その中では、「至誠」のはたらきをこのように表現しているのです。

 「譬えば、以て鳥は春に鳴き、以て雷は夏に鳴り、以て虫は秋に鳴き、

以て風は冬に鳴るが如し。其れ唯だ毫釐も欺かず。而も循環、息むこと無し」と。

 訳しますと、「たとえば天地の至誠とは、鳥は春に鳴き、雷は夏に鳴り、

虫は秋に鳴き、風は冬に鳴るようなものである。それはいささかも(私意を以て)欺くことがなく、

循環して止むことがない」となります。

 自分の力で無理にでも成し遂げようという「至誠」ではなくて、大自然のはたらきそのものが

「至誠」であると言われるのであります。

 禅の修行とは、実はこの大自然のはたらきとひとつになってゆくことであります。

 道元禅師は「本来面目」という題で、「春は花夏ホトトギス秋は月冬雪さえて涼しかりけり」

と詠いました。大自然の営みそのものが本来の自己だというのであります。 

「春苦み 夏は酢の物 秋辛み 冬は油と心してくえ」という言葉もあります。

大自然の運行と順応してゆくことを説いています。

 大自然と一体になると言いましたが、それはむしろ逆であって、もっといえば、もともと一体であったのです。

そしてそれに気づくことであります。私の体はもともと大自然と一つになって働いているのであります。

 呼吸ひとつにしても、意識的に行う呼吸よりも、無意識に行われている呼吸によって、

われわれの体の二酸化炭素の調節が見事に行われているという研究があります。

私たちの体もまた大自然のはたらきにほかならないのです。

 こうして「至誠」というのは、私達を生かしてくれている大きな大自然の営みだと分かります。

その大いなるはたらきに身をまかせて無理をせずに行って方が長続きします。

その方が本当に「至誠息(や)むことなし」だとこの頃になって思うのであります。

(平成30年11月24日 禅をならう会『禅海一瀾』提唱より)

「至誠(しせい)」

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