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臨済宗大本山 円覚寺

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2026.09.30
今日の言葉

丹田、動く、まわる

先日は井上欣也さんにお越しいただいて、身体の使い方を習っていました。

今回も私一人の個人稽古でありました。

前回は、「とらえる」ということについて教わって、とても学ぶことがありました。

片足のスクワットを行っていると、身体をぐらつかせないようにと意識します。

ところがこの身体をぐらつかせないように、バランスを取ろうとすると、ますますぐらつくのです。

そこで足の裏でとらえるようにして行うと、上体がぐらぐらしなくなりました。

これは大きな発見でありました。

先日百丈禅師の三句について学びましたが、執着しないということにも執着してしまうということがあります。

私たちも禅の修行では、とらわれないということを大事にしているのですが、「とらわれない」と言った時点ですでにとらわれています。

とらわれていないのだということにとらわれています。

むしろ自由にとらえていくところに、ほんとうのとらわれない境地があるのだと思います。

今回は、先日井上さんがnoteに「動く肚」という投稿をなさっていて、それにとても興味を持って教えていただきました。

それは「肚を居着かせない」ということだというのです。

丹田や肚そのものが動くということなのです。

井上さんも「これまでは、肚を一つの支点のように使い、そこから全身が動くという感覚で稽古を重ねてきた」と書かれていました。

私もその感覚は同じであります。

丹田はどっしりとして不動なるもの、その不動の丹田から末端に動きが出てくるというように思っていました。

井上さんは「その支点だと思っていた肚自体が、留まることなく動き続けるという感覚が出てきた」というのであります。

これは文章を読んだだけでは分かりませんので、実際に教わってみたいとお願いしたのでした。

丹田が動くとはどのようなことかと想像もできなかったのでした。

動くといってもいろいろ教わりました。

まず教わったのは、丹田が円の動きをするということです。

両手をゆっくり上げるのですが、丹田が上の方に回転するようにして、丹田が動くと腕も上がっていくように、丹田と腕とのつながりを保っていくのです。

これは全く新しい感覚であります。

手を下ろすときには、丹田が下に向かって回転していくのです。

外からみれば、ただ手を上げたり下ろしたりしているだけにしか見えませんが、奥深くの丹田が動いているのです。

横に向いても回転してゆくことができます。

これが丹田を居着かせないことかと感じました。

杖の両端をお互いが持って、こちらが前へボールを転がしていくような感覚で丹田が動いていくと、そのまま相手へ力が伝わっていきます。

逆に、引くときには丹田を下に回転させるようにしてゆきます。

これは決して手を使おうとしていないのです。

手は動かすものではなく、相手に触れたところへ置いておくだけだというのです。

井上さんが、「肚が動けば全身がつながり、その結果として手も動いている」と教えてくださいました。

これは深い教えだと思いました。

不動というのは、じっと動かないことのように思いますが、どこにも居着かず、自由に動けることこそが、ほんとうの不動なのだと思ったのでした。

とらえるということの関連で、背骨をひとつひとつとらえるというのも行いました。

ヨガの鋤のポーズの状態から身体を起こしていくのですが、途中でころんと転びそうになります。

そこで背骨の一つ一つで床をとらえるようにすると実にゆっくりとスムーズに起きられます。

こんな動きで背骨がゆるんでいくのが分かります。

時間も忘れて楽しく稽古をさせてもらっていました。

「内観」と「イメージ」の違いについても勉強になりました。

これは似ているようですが、違うものだというのです。

たとえば、誰かに後ろから追突されたとします。

その場面を頭の中で思い描き、「追突されたらこう動くだろう」と考えて身体を動かすのがイメージです。

それに対して内観では、本当に追突されたような衝撃や質感を身体で感じます。

すると「こう動こう」と考えるより先に、身体が自然に反応して動き出します。

井上さんが教わっている甲野善紀先生も、イメージと内観の違いについて、イメージは頭の中に描くものだが、内観にはリアリティや質感があると話されていたというのです。

もう一つ大きな違いは、イメージには「予定された結末」があることです。

「こうなって、次にこう動く」と頭の中で筋書きを描きます。

ところが内観では、ある状況を設定して身体に任せていると、自分でも予想しなかった動きが生まれることがあると言われていました。

スポーツでもよく「イメージトレーニング」といいますが、おそらく一流の選手が行っているものは、単に理想の動きを頭の中で思い描くことではなく、何度も稽古を重ね、身体に染み込ませ、「そうなるのが当然だ」と感じられるところまで深めていくのではないかという話になりました。

そのときイメージは、単なる想像から身体感覚を伴う内観へと変わっていくのだろうと思うのです。

ともあれ、今回教わった「丹田そのものが動く」ということは、とても深い学びでありました。

これを日常にどのように落とし込んで活かしていくかがこれからの楽しみであります。

 
横田南嶺

丹田、動く、まわる

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