語録にみえる老婆
岩波文庫の『臨済録』にある入矢義高先生の現代語訳を引用します。
鳳林和尚を訪ねる道で、一人の老婆に逢った。
婆「どちらへいらっしゃる。」
師「鳳林へ。」
婆「あいにく鳳林和尚は不在ですぞ。」
師「どこへ行かれたか。」
老婆はさっと歩きだした。
師は「ばあさん!」と呼んだ。老婆が振り返ると、師は打った。
というものです。
最後のところ、「ばあさん」と呼びかけて、振り返った老婆に、「誰が不在だといったのか」と言ったとなっている本もあります。
それから、最後に「師は打った」となっていますが、古い本では「師は行った」になっています。
山田無文老師は
今度は鳳林という寺をたずねて行ったのである。その道で一人の老婆に会った。
徳山をやりこめた婆さん、趙州に看破せられた婆さん、なかなか昔から婆さんでやり手があったと見える。
臨済も道で一人の婆さんに会った。婆さんのことじゃから、別に改まって参禅というような難しいことをせんでも、ちゃんと勘で分かりよる。つねに老漢に接しておるというと、いつの間にやらお悟りが薫習して、どこかに染み込んでおる。この婆さん、いつも鳳林寺へ行って提唱を聞いたり、雲水の相手になっておるだけのことはある。臨済を呼びとめてたずねた。
「雲水さん、どこへ行きなさる」
「これから鳳林寺へおたずねしたいと思っておる」
「せっかくだが、和尚さんはこのごろ寺におらんよ」
この婆さん、なかなかしたたかものだ。和尚がおろうがおるまいが、そんなことは問題にしておらんのである。
「そうか、和尚は留守か。どこへ行かれたかな」
すると婆さん、黙ってサッサと自分の行く方向へ行ってしまった。このとおり行きよったわい、と言わんばかりである。そこで臨済が、「ちょっと、ちょっと、婆さん」
と呼ぶと、婆さんがフッと後ろを振り返った。そこで臨済は黙って、知らん顔をして行ってしまった。これは婆さんの負けだ。
と提唱されています。
無文老師が「この婆さん、なかなかしたたかものだ」と褒められています。
臨済禅師と同じ時代に活躍されたのが、徳山禅師です。
徳山禅師は、修行時代に、老婆にやり込められています。
この話は『無門関』の第二十八則に出ています。
後に唐代禅家の代表とも言われる徳山禅師でしたが、はじめは、仏教の学問を修めていました。
当時の仏教学の伝統では、仏さまになるには五十二位の位があって、それを三大阿僧祇劫というとてつもなく長い歳月をかけて、何度も何度も生まれ変わり死に変わりを重ねて、ようやく仏に到るとされていました。
それが、禅では不立文字教外別伝と言い始め、お経や言葉に依らずに、直に自分の心を見れば仏になると説いています。
即心即仏などといって自分の心がそのまま仏であるとまで言うのです。
伝統の仏教学を修めていた徳山禅師は、南方で禅が盛んになっているというのを聞いて、とんでもないことだとばかりに、南方に押しかけて禅を滅却しようとされたのです。
悲憤慷慨して行ったのです。
澧州地方に行って、そこで途中でおなかでも空いたか、点心をいただこうと思われ、老婆に頼みました。
そのお婆さんが、徳山和尚が運んでいる大きな荷物を見て言いました。
「そのお荷物は一体何ですか」と。
徳山禅師が「これは『金剛経』とその注釈書だ」と答えました。
このお婆さんは、少なくとも『金剛経』の教えをよく知っていたと思われます。
『金剛経』の中には、『過去心不可得現在心不可得未来心不可得』と書いています。
「過去の心もとらえることができず、現在の心もとらえることができず、未来の心もとらえることができない。では、いま『点心』を頼むと言われましたが、いったいどの心を点じようとなさるのですか」と聞きました。
徳山禅師は、この一問を浴びせられて、まったく返す言葉がなくなりました。
そこで老婆に尋ねました。
「この近くに、すぐれた禅師はおられるか」
老婆は答えました。
「ここから五里ほど行ったところに、龍潭和尚がおられます」
そこで徳山禅師は龍潭和尚のもとを訪ねて禅の教えに参じられたのでした。
趙州和尚の語録にも老婆が出ています。
趙州和尚が外出していた時、一人の老婆がかごをさげて来るのに出会いました。
「どこへ行く」と尋ねます。
老婆は、「趙州の竹の子を盗みに行きます。」と言いました。
趙州和尚が「趙州に出会ったら、さてどうする。」と問います。
老婆は近づいて、趙州和尚に平手打ちをくわせました。
臨済禅師も徳山禅師も趙州禅師も同時代を生きられた禅僧です。
それぞれの禅僧に老婆の話があるのは興味深いものです。
こうした老婆たちは、人生の経験を重ね、仏教を学ばれていたのでありましょう。
人生の辛酸をなめ尽くしてきたのかもしれません。
深く禅にも参じられたのかもしれませんし、天性禅を会得していたのかもしれません。
そんな老婆がおられたのでした。
当時は、仏教の世界でも女性が男性と同じようには扱われないことの多かった時代ですが、こうして力量のある老婆が禅の語録に出てくるのを拝見すると、人は誰しも、生まれながらに仏であるという禅の教えがいきいきと生きていたのだと感じます。
横田南嶺