堂に入る
先だっての日曜日は、午前中に鎌倉エフエムのラジオに出て、午後からは世田谷区の野沢龍雲寺で、小池陽人さんの法話を拝聴してきました。
小池さんの法話は、何度も拝聴していますが、拝聴するたびに、ご立派に成長されていて、実に堂に入った法話だと感じ入りました。
「堂に入る」とは、「(「堂に升り室に入る」から)
学術や技芸などが、その道の深くまで達し、すぐれている。また、手慣れていて、すっかり身についている。」
という意味です。
『広辞苑』にある解説です。
「彼の演説は堂に入っている」という用例があります。
「堂に升り室に入る」とは、[論語(先進)]にある言葉で、
「由や、堂に升れども、未だ室に入らざる也」]というのが原文です。
「堂」は表座敷、「室」は奥座敷です。
「「堂に升る」とは学徳が高明正大の域に至ること、「室に入る」とは更に進んで精微深奥の域に達することで、学問や芸術が次第に高い水準に進み至るのをいう。」のであります。
ラジオに出てから、いったん寺に帰って、横須賀線に乗って横浜駅まで行って、更に学芸大学駅まで参りました。
学芸大学駅からは歩いて参りました。
その日は汗ばむほどの陽気であります。
閑静な住宅街を歩くと、龍雲寺様につきます。
龍雲寺様も桜の花が満開で見事でありました。
小池さんはというと、始まる前にもサイン会をなされていました。
このあたりも、私にはできないことであります。
人に会うのがもともと苦手な私は、講演の前や後には、できるだけ、人に会わないようにしています。
かつてコロナ禍の時には、面会する人が少なくなってホッとしていたものでした。
その点小池さんは多くの方に接することをむしろ楽しんでいらっしゃるようにお見受けします。
会場には村上信夫さんのお姿も見えました。
鎌倉のラジオに出られてから、こちらにもお見えになったようであります。
村上さんの姿もご覧になったこともあってか、小池さんは冒頭に、村上さんが会場に見えてくださっていることに触れて、村上さんと対談された折に、アナウンサーの仕事で大事なことは何ですかと尋ねた話をされていました。
アナウンサーの仕事というと、話をすることだと思いますが、村上さんは、アナウンサーの仕事で大事なことは聴くことだというのです。
いろんな話を聴いた上で、自分から発する言葉に重みが出て、伝わるものがあるということをお話くださっていました。
それから九十分、話はよどみなく続きました。
法話で九十分というのはあまり多くないと思いますが、お見事な時間配分であり、聞いていても全く飽きることがありません。
引きつけられて、笑い、そして涙を流して、気がついたら終わっていたという感じであります。
堂々としていらっしゃって、聴衆の心を引きつける間の取り方が、とてもお上手でありました。
はじめに法話グランプリの話から、高橋玄峰さんの法話に触れられていました。
月参りに出かけたお宅に十分前に着いたそうなのですが、まだ準備が出来ていなかったという話です。
畑に蜜柑を取りにいって今帰ったところだというのです。
蜜柑をお供えしてお経を始めようとすると、まだお供えするお膳ができていないと言います。
お供えのご飯は十時に炊けるようになっていたというのです。
ご供養の時間が十時ですから、それからご飯を盛り付けていると、遅れるのは当然なのです。
それでもその方が言われた言葉が心に響きました。
大事なお父さんの法要だからお供えのお蜜柑ももぎたてを供えたい、大好きなご飯も炊き立てのご飯をお供えしたかったと言われたのでした。
これこそ心のこもったお供えです。
そこから小池さんは四国遍路の話に転じられました。
お遍路の旅でも、団体でお参りすると、特に引率する立場になると、時間ばかりを気にしてしまいます。
高野山の松長宥慶猊下の話もされました。
松長猊下も、四国遍路をなされていて、バスツアーで行くと、時間に追われるので、ご自分一人で行かれたそうです。
それでも次のバスの時間が気になってしまったそうです。
そこで学生さんから、時計ももたず、地図も見ずにスケジュールも立てずにお遍路をしたらどうかと言われたというのです。
そして学生さんから言われたのが、地図も時計ももたずに行って、そんな旅で道を尋ねた人はみんな菩薩様に見えるでしょうというのです。
この言葉は印象に残って私も書き留めました。
この菩薩に見えるというのは、私たちの心がとらわれから離れてまっさらになった時に、すべての出会いが仏様になっていくのです。
そんな話からだんだんと本題に入ってゆきます。
修行道場に入った時の話ではみんな大笑いでありました。
そして高野山のお授戒の話へと展開します。
このあたりから心がだんだんとしんみりとしてきます。
更に石山寺の話へと発展しました。
夢の桜の話を丁寧になさっていました。
私はその午前中にラジオでお話したのですが、もっと丁寧に心に響くように話されます。
お見事だと思いながら聞いていました。
そして圧巻が卵かけご飯の話です。
とある方のエッセイにあった話だそうで、「最後の晩餐」といいます。
その方のお父様は銀行員として勤め上げましたが、退職後にがんを患い、治療の甲斐なく次第に弱っていきます。
やがてお父様は「最期は自宅で過ごしたい」と望み、家族はその願いを受け入れて在宅での緩和ケアに切り替えました。
家族三人で過ごす日々の中、ある日お父様は「卵かけご飯が食べたい」と言います。
それは幼い頃、病気の時だけ食べられた特別なごちそうの思い出でした。
時に卵かけご飯を食べたいために、仮病をしたこともあったと言います。
娘は涙をこらえて卵かけご飯を作り、母は「お父さんの前では笑顔でいよう」と励まします。
お父様は苦しみながらも一口食べ、「おいしいな」と微笑みます。
その言葉に娘は「仮病なんでしょう」と涙ながらに言い、お父様も「仮病だったらいいのに」と応え、三人で抱き合って泣きました。
翌朝、お父様は静かに息を引き取ります。
それが「最後の晩餐」となりました。
一周忌の日、娘さんは再び卵かけご飯を口にしますが、お父様のことを思い出して涙します。
そしてその食べかけの卵かけご飯をそのまま、お父様の仏前に供えます。
卵は精進ではありませんので、本来ならお供えにはふさわしくないと言われるところですが、小池さんは、ご供養というのは、形ではなく、故人を思う心こそが最も尊いのだとお話くださっていました。
最後は涙を流しながら拝聴していました。
気がついたら九十分ちょうど過ぎていました。
笑いから始まり、最後は涙で終わる素晴らしい法話でありました。
まさに堂に入ったご法話だと感じいったのでした。
横田南嶺