ほどほど
よく使う言葉です。
ほどほどにしておけばいいと言ったりします。
そもそもどんな意味なのか、『広辞苑』で調べてみると、
「それぞれの身分。身分相応。」という意味がはじめに書かれています。
その次に「ちょうどよい程度。適度。」と書かれています。
「ほどほどにしておく」という用例があります。
適度というと、「ほどよいこと、適当な程度」です。
ただこの「適当」という言葉にはいろんな意味合いがあります。
『広辞苑』で「適当」を調べてみても、
ある状態や目的などに、ほどよくあてはまること。」
と書かれています。
「適当した人物」「適当な広さ」という用例があります。
これはほどよいことで、いい意味で使われています。
しかし、②に「その場に合わせて要領よくやること。いい加減。」と書かれています。
こちらには「適当にあしらう」という用例があります。
これはいい意味では使われていません。
「いい加減」という言葉もそうです。
『広辞苑』には、
に「よい程あい。適当。ほどほど。」と書かれています。
「いい加減に焼き上がる」「冗談もいい加減にしろ」という用例があって、これはいい意味です。
それから②に「条理を尽くさないこと。徹底しないこと。深く考えず無責任なこと。」と書かれています。
「いい加減なことを言うな」という用例があって、これはいい意味ではありません。
それから③に「(副詞的に用いて)相当。だいぶん。かなり。」という意味もあります。
「いい加減待たされた」「いい加減いやになる」というように使われています。
同じ言葉でもいろんな意味で使われるのです。
増谷文雄先生の『仏教百話』に興味深い話があります。
お釈迦様の時代に、コーサラ国のパセナーディ王たち五人の王様が集まっていました。
王様達は、ご馳走を食べ美女をはべらせ、ありとあらゆる歓楽をつくしています。
ある王様が、この世で一番楽しいことはなんであろうかと尋ねました。
王様達は考えました。
ある王様は、美しいものを見るのが一番の楽しみだと答えます。
またある王様は、美しい音楽を聴くのが一番の楽しみだといいます。
ある王様はよい香りを嗅ぐのが一番の楽しみだと言います。「
ある王様は、美味しいものを食べるのが一番の楽しみだと言います。
美しい女性を抱くのが一番の楽しみだという王様もいました。
なかなか議論がまとまりません。
そこでパセナーディ王はお釈迦様に聞いてみようと提案します。
そこでお釈迦様のところに行って、この世で何が一番の楽しみですかと尋ねます。
お釈迦様は、王様たちのそれぞれの考えを聞いて、
「心にかなう適度を第一とします」と答えました。
どんな楽しみであっても適度なのが一番だというのです。
美味しいものでも適度が一番楽しみです。
音楽でも何でも感覚を刺激するものは適度が一番なのです。
お釈迦様はパセナーディ王に適度な食事をすることを勧めています。
王様は美食で大食でもありましたので、とても太っていたようです。
お釈迦様のところを訪ねても、ふうふう大息をついていました。
そこで、お釈迦様は王様のために、
「人はみずから繋念して
量を知って食をとるべし
さすれば、苦しみ少なく
老ゆることおそく、寿を保つならん」という偈を教えました。
王様は、それからそばにいる少年にこの偈を覚えさせて食事のたびにいつも唱えるようにさせました。
王様は食事のたびにこの言葉を耳にしますので、食事の量も減って太った身体も、やせて健康になったというのです。
食べることも、ほどほどがいいという教えであります。
ほどほどは、食べるだけではありません。
修行においてもそうなのです。
お釈迦様の時代に、ソーナというお坊さんがいて、とてもはげしい修行をしていました。
「わたしは、こんなにはげしい修行をしている。仏陀の弟子のなかでも、わたしほど一所懸命にやっているものはあるまい。
それなのに、わたしは、いっこう悟りの境地にいたることができないのは、どうしたことだろうか。
こんなことでは、わたしは、むしろ、家にかえったほうがよいのではないかしら。」と迷います。
そこでお釈迦様はソーナに言いました。
このあとは、『仏教百話』にある文章を引用します。
「ソーナよ、なんじが家にあったころには、たいへん琴を彈くことが上手であった、と聞いているが、そうであるか。」
「はい、いささか琴をひくことを心得ていました。」
「それでは、ソーナよ、よく知っているだろう。いったい、琴をひくには、あんまり絃をつよく張っては、よい音がでぬのではないか。」
「さようでございます。」
「といって、絃のはりかたが弱すぎたら、やはり、よい音はでないだろう。」
「そのとおりでございます。」
「では、どうすれば、よい音をだすことができるか。」
「それは、あまりに強からず、あまりに弱からず、調子にかなうように整えることが大事でありまして、それでなくては、よい音を出すことはできません。」
「ソーナよ、仏道の修行も、まさに、それとおなじであると承知するがよい。
刻苦にすぎては、心たかぶって静かなることあたわず。
弛緩にすぎれば、また、懈怠におもむく。
ソーナよ、ここでも、また、なんじはその中をとらねばならない。」
という教えであります。
そして「それより、ソーナは、この弾琴の喻えをじっと胸にいだいて、ふたたび修行にはげみ、ついに悟りの境地にいたることができた。」
というのであります。
これらの話はお釈迦様の教えの中道を説いています。
ほどほどがいいというと分かりやすいのですが、この「ほどほど」が実際には難しいものです。
特に修行においては、厳しすぎるのも無理がありますし、かといって緩みすぎてもいけません。
やはり修行において大事なことは長く続けることです。
それにはやり過ぎはよくありません。
万事ほどよく、ほどほどにそして長く精進してゆかないといけないのであります。
横田南嶺