ありのままでいいか – 其の四 –
その二日後の月曜日には、いつもの麟祥院での講座となりました。
少し早めに麟祥院に参りました。
まだ二日前の講座の余韻が残っているので、まずは、小川先生にご講義の御礼を申し上げました。
小川先生は、講座のあと、ご自身が教えていらっしゃる学生さんたちと駅で偶然出会われたそうです。
その時には学生さんが、松竹老師の体験談にとても感動したと言っていたと教えてくださいました。
松竹老師が、講座の最後の座談会の折に、ご自身が幼少の頃から、吃音に悩まされて、それを克服してこられた体験を真摯に語ってくださったのでした。
私もそのことを存じ上げてはいましたが、これほどまでに丁寧にお話くださったのを聞いたのは初めてでした。
老師は座談会の折に「今の弱い自分を受け入れなくてはならない」し、それと「格闘してはいけない」、「しかし、そこに安住してはいけない」のだと仰せになっていました。
この言葉には深いものがあります。
ありのままでいいのかという問題をご自身の体験に照らし合わせてお話くださったのでした。
まずはありのままを受け入れなくてはいけないし、それと闘してもならない、しかし、安住してもいけないというのは体験から出た深い言葉でありました。
松竹老師のこの体験については、また禅文化研究所の五月の講座で深めてまいります。
五月二十四日午後から円覚寺で「生老病死・四苦八苦をどう生きるかー盤珪禅師に学ぶ「苦しまない」心」と題して、松竹老師、そして姫路の不徹寺の松山照紀様と共に学びます。
そこで松竹老師は「あるがままに生きる~吃音との葛藤を振り返って~」と題してご講演くださることになっています。
盤珪禅師の不生の仏心の教えをもとにして現代に生きる私たちの苦しみがどのように救われるのかという問題を深めて学びます。
私がはじめに盤珪禅師の教えについて講演します。
そして不徹寺の松山様が、実際に不生の仏心の教えをもとにして、多く方々を導いておられる体験をもとに、「不生の教え‒‒私の生き方」と題してお話いただきます。
最後に三人で鼎談を致します。
「人が生きるかぎり、避けることのできない「悩み」や「苦しみ」。私たちはそれに直面したとき、出来事や感情をどう受けとめればよいのでしょうか――。その手がかりが、江戸時代の禅僧・盤珪永琢禅師(1622–93)が説かれた「不生」の教えにあります。盤珪禅の視点から苦悩との関わり方を見つめ直し、人生をよりよく生きるヒントに出会いましょう。」
という主旨の会であります。
麟祥院では控え室にやがて松竹老師もお見えになって、老師方とそんな話をしながら、講座の時間となりました。
麟祥院の講座でも、「ありのまま」の問題でありました。
五祖法演禅師の法を受け継がれて、大いに活躍されたのが圜悟禅師と仏鑑禅師なのですが、もとはありのままでいいという「平実の禅」「無事の禅」を学んでそれでいいと安住しておられました。
五祖禅師はありのままを打破する体験が必要だとする教えであります。
二人で五祖禅師のもとに行くのですが、せっかくのありのままの自己を力づくで作り変えられようとしているのだと思って、不遜な言葉を吐いて腹を立てて五祖禅師のもとから去ってゆきました。
五祖禅師は言いました。「浙江あたりへ行って、一度、熱病にでも倒れれば、そこではじめてわしの事を思うことになろうぞ」というのです。
はたして圜悟禅師は五祖禅師の言葉通り、病に倒れて、無事の禅が役に立たないことに気づきます。
そこで五祖禅師の言葉を思い出して、もう一度五祖禅師のもとに参じて悟りの体験を得たという話を前回学んだのでした。
今回は、更に仏鑑禅師の話であります。
圜悟禅師は、病気が治って五祖禅師のもとに参じようとした時に、仏鑑禅師も誘うのですが、仏鑑禅師は、そのときはまだ五祖禅師のもとに行くことを拒んだのでした。
やがて仏鑑禅師も五祖禅師のところに行きます。
入門するのをためらうのですが、圜悟禅師から 「前に別れてからひと月ちょっとにしかならぬが、今のわしを見て、どう思う?」と問われて、たしかに何か違っていることに気がつきます。
そこで仏鑑禅師も正式に五祖禅師のもとに入門します。
あるときに、五祖禅師について、圜悟禅師と共に、山歩きをしていました。
すると五祖禅師は、こんな公案を示されました。
この公案については小川先生の資料を引用させてもらいます。
東寺如会和尚が、仰山慧寂に問うた。「国はどこか?」
仰山、「広南にございます」。
東寺、「広南には大海を鎮める明珠があると聞く。おぬし、それを手に入れたか?”
仰山、“手に入れております”。
東寺曰く、“その珠はどのような色をしておるか?”
仰山、“月が明るくなってゆく時には現われ、暗くなってゆく時には隠れます”。
東寺、“ひとつ、わしに見せてみぬか?”
仰山は、胸の前に手を組んで威儀を正し、ツッと前に進み出て言った。“わたくしは、先ごろ潙山にまいりました時、潙山禅師からこの珠を出せと言われ、おかげで、答えるべき言葉も、述べるべき道理も失ってしまいました」。
という問答です。
答えるべき言葉も、述べるべき道理も失ってしまったというのは悪い意味ではありません。
それまでの正しいと思っていた見解や、間違った見解を捨てて正しい見解に乗り換えるのが悟りではなく、それまでの正しいと思っていた見解で頭の中にいっぱいになっていたのを洗いざらい全部捨て去ることができたのが悟りという表現になると小川先生は分かりやすくといてくださっていました。
この公案について五祖禅師と仏鑑禅師とが問答をします。
そのときには仏鑑禅師は答えることができませんでした。
しかし、その後、ある日のこと、仏鑑禅師は気がつくことがあったのです。
圜悟禅師に語りました。
「仰山と東寺のあの話、わしも一句言えるようになった。東寺は一粒の明珠を求めただけなのに、仰山は自分の持ち物を、洗いざらいみな出してしまったのだ」。
圜悟禅師は、深くうなずいたという話です。
仏鑑禅師もそれまでしがみついていた、ありのまま、無事でいいという禅を捨て去ることができたのです。
ほんとうに空っぽにすることができたのでした。
それでこそ、仏鑑禅師も真のありのままとなるのです。
「ありのままでいいと思う」や「ありのままでいいのだととらわれる」のでは、これはまた苦しみになります。
そんなものを全て捨て去ってこそ、真に「ありのまま」となります。
ありのままを認め、ありのままを克服し、ありのままになる、そんな風に学んだのでありました。
横田南嶺