小泉八雲の見た円覚寺
ちょうど一月の摂心中でしたので、私は会の始まりに短い話だけさせてもらいました。
子供たちの朗読の発表を聞きたかったのですが、やむをえませんでした。
今回は、小泉八雲の特集のようでした。
テレビを見ない私には分からないのですが、小泉八雲のドラマが放映されて注目されているかららしいのです。
そこで話の始めに小泉八雲が日本に見えて、この円覚寺も訪れていることに触れました。
総門を入って「幅広い石段を上ってゆく。さらに鬱蒼と茂った樹々の間を進んでゆくと、私たちは山門のある境内へと辿り着く」と角川ソフィア文庫『新編 日本の面影Ⅱ』には書かれています。
訳文は池田雅之先生です。
このあとの記述も角川ソフィア文庫『新編 日本の面影Ⅱ』からの引用です。
更に山門についての記述があります。
「この山門も、実に見事なものである。
屋根は大きく反り返り、巨大な切妻がついた二階建ての立派な外観を呈している。
この山門は、四百年以上の長きにわたって風雪に耐えてきた。
しかし、そんなことは微塵も感じさせない。
その重厚で複雑な造りは、白木の円柱と大梁の巧みな組み合わせによって支えられている。
その山門の巨大な軒先には、たくさんの鳥たちが巣を作っており、屋根の上から聞こえてくる鳥たちのさんざめきは、まるで水が流れ落ちる音のように響いてくる。山門は見ごたえのある建物で、堂々とした風格を漂わせている。」
と書かれています。
そのあと山門を入って佛殿についても記述があります。
「この山門を過ぎ、さらに樹齡千年を超える鬱蒼とした木々の間を通って、幾重もの幅広い石畳を登ってゆく。
すると、美しい二基の石灯籠のある仏殿へと出る。
仏殿の建物はさほど大きくはないが、さきほどの山門によく似ている。
仏殿の入口の上には、「大光明宝殿」と書かれた扁額が掛っている。
しかし、お堂は厳重な格子の柵で仕切られており、誰も中に立ち入ることは許されない。
私は、かすかな光を頼りに、格子のすき間から中をのぞき込んでみる。
まず、大理石を敷き詰めた床が見え、次に高いくすんだ屋根を支えている太い本造の円柱が立ち並ぶ廻廊の奥まった所に、金糸の衣に身を包み、黒みかかったお顏付の釈迦如来像が、周囲十二メートルほどもある巨大な蓮の花の上に鎮座しているのが、垣間見える。」
と書かれています。
その頃の佛殿は関東大震災で倒壊してしまっています。
今となっては基調な描写であります。
ご本尊はそのまま残っていますので、今の宝冠釈迦如来であります。
格子の隙間から中を覗くだけというのは、私が管長になるまではそうでした。
佛殿の中に入ることはできませんでした。
私が管長に就任にして、多くの方に中に入って仏様にお参りしていただこうと思って開放したのでした。
更には勅使門についての記述があります。
「仏殿の奥には、年輪を刻んだ杉と松の生い茂った小さな森が広がっており、その中に竹も混って群生している。
その竹林は他の大木の梢と葉群とに混り合いながら、帆柱のようにすっくと垂直に伸びている。
その様は、まるで荘厳な熱帯風の景観を呈している。
この竹林の木影を通って、幅広い石畳の坂をゆっくりと上ってゆくと、物さびた塔頭へと導かれる。
さらに石畳を登ってゆくと、私たちがすでに通過してきた山門よりは小ぶりな門ではあるが、もう一つの門に辿り着く。
その小門には、どんな彫り師も彫ることのできないような数多くのぶきみな龍が彫られている。
その羽の生えた龍群は、水中から竜巻となって舞い昇ったり、そこから舞い降りたりする構図のもので、もう今日ではそれらを彫れる彫り師はいないだろう。」
と書かれています。
勅使門にある彫り物が印象的だったのでした。
それから洪鐘を見に行っているようです。
「この大釣鐘は、中国風の反った屋根の付いた、四方に開けた桜(楼?)閣の下につり下がっている。
釣鐘の高さは、八メートル以上もあり、直径は約四メートル半、縁の厚みは、二十センチほどもある。
釣鐘のかたちは、口の方に向かって開いている西洋風の鐘とは異なる。
全長が同じ口径の長さになっていて、そのなめらかな金属の表面には、経文が刻み込まれている。
この大釣鐘は、屋根の梁から鎖でつるされ、昔の破城槌のような重い撞木の縄が付いている。うまく音が出るように、その縄を上手に引っ張って、鐘の脇腹に彫られた蓮の花に向って打ちつけるのである。」
と書かれています。
ここで小泉八雲は僧侶に促されて鐘を撞いてます。
「それから、私は力をこめて鐘に撞木を打ちつけてみた。
すると、大きなパイプオルガンの低音部の豊かで深い雷鳴のような響きがー途方もなく大きく美しい響きがーあたりの山々にこだました。
それから、小さな美しい反響音が、そのあとを追うようにして鳴り響いた。
たった一度鳴らしただけなのに、この素晴らしい釣鐘は、少なくとも十分間ほどもうなり続けたのである。
この釣鐘の年齢は、何と六百五十歲という。」
と書かれています。
余韻が十分間も響いたとは少々大袈裟のように感じますが、そのように感じられたのでしょう。
残念ながら、小泉八雲の記述は勅使門と洪鐘で終わっていて、その奥にある舎利殿について記述がありません。
小泉八雲が日本に見えたのが明治二十三年一八九〇年のことです。
その明くる年には鈴木大拙先生が円覚寺に見えて参禅されています。
夏目漱石が円覚寺に来て参禅したのが、明治二十七年の暮れから二十八年に到るまでです。
ですからこの小泉八雲の記述は、大拙先生や夏目漱石がご覧になっていた景色でもあります。
そう思って読むと感慨深いものがあります。
横田南嶺