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臨済宗大本山 円覚寺

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2026.02.02
今日の言葉

勝ち負けを離れる

円覚寺の総門の下に掲示板があって、毎月坂村真民先生の詩を書いています。

二月は節分があるので「節分」という題の詩を書いています。

 節分

追っ払われた
鬼の子たちが
お母ちゃんと
呼んでいる
それがつらくて
節分は
さびしい
何度も
目が覚める

という短い詩です。

鬼を追い払うのは、正義のつもりなのでしょうが、鬼の子たちはかわいそうだというのです。

真民先生のお優しい心が伝わってきます。

節分になるとこんな詩を思うのです。

豆まきならまだいいのですが、世界では正義を掲げて、それぞれ争いが絶えないのが実情です。

そこでは子供たちが、苦しめられると思うと、なんともつらく思うものです。

ブッダの教えは、争いをしない教えであります。

『法句経』二〇一番には

「勝利からは怨みが起る。
敗れた人は苦しんで臥す。
勝敗をすてて、
やすらぎに帰した人は、
安らかに臥す。」

という言葉があります。

これも私の好きな聖句のひとつです。

高校生の頃、受験戦争などという言葉がありました。

なぜ「戦争」などという言葉をつかうのか、違和感を覚えていたものです。

争わない生き方があるだろうと思って、私は坐禅の道に親しんでいました。

春秋社の『真理のことば註(3)』にはこの偈にちなんだ話が書かれています。

コーサラ王の敗北に関する話です。

コーサラ王はアジャータ·サッツとの敗戦に苦しまれたというのです。

コーサラ王はカーシ村の近くで甥のアジャータ·サッツと戰って、三度敗かされてしまいます。

三度も負けて
「私は、あの乳臭い青二才の若者すらも敗かすことができなかった。私が生きていたとて何になろうか」と思って、断食をして寝床に横たわったというのです。

そしてその顛末は全ての精舎や町に知れ渡たり、比丘たちはお釈迦様に報告しました。

「聞くところでは、王はカーシ村の近くで三度敗北したそうです。

彼は今敗北して、帰って来て、断食をして寝床に横たわっています」と。

お釈迦様は彼等の話を聞いて、
「比丘たちよ。勝っている者も敗けた者に怨みを産み出す。敗かされた者は苦しんで横たわるだけである」

と述べて、この偈を誦えられたという話です。

『法句経』の第一九七番から一九九番も争いにまつわる話です。

怨みをいだいている人々のあいだにあって怨むこと無く、われらは大いに楽しく生きよう。
怨みをもっている人々のあいだにあって怨むこと無く、われらは暮らしていこう。

悩める人々のあいだにあって、悩み無く、大いに楽しく生きよう。悩める人々のあいだにあって、悩み無く暮そう。

貪っている人々のあいだにあって、患い無く、大いに楽しく生きよう。貪っている人々のあいだにあって、むさぼらないで暮らそう。

という三つの言葉です。

この偈を説かれた経緯のあらましを述べますと、それは釈迦族とコーリヤ族の争いであります。

釈迦族とコーリヤ族の人々は、都カピラヴァットウと都コーリヤとの間を流れるローヒニー川にただ一つのダムを作って、穀物を作っていました。

五~六月のころ、水不足で穀物が枯れ始めました。

両都に住む労働者たちが集まりました。

コーリヤ族の者たちが

「水を両方に引いていては、お互いに駄目になってしまう。

しかし、水を一方だけにすれば大丈夫だから、この水はわれわれに与えてほしい」と願いました。

すると、カピラヴァットゥの者たちも「それはできない。われわれに水を貰いたい」と言います。

「やれない」。「われわれもやれない」と争いになりました。

一人の者が或る人を殴ってしまいます。

その者も別の者を殴ります。

やがて殴り合いが始まり、互いに王族の生い立ちの悪口を言って相手を怒らせ、ついに大きな争いへと発展しました。

そんなときに、お釈迦様は早朝、世界を眺めて、親族たちをご覧になりました。

「私が行かねば、かれらは滅亡する」と考えました。

ただ一人空を飛んで行って、ローヒニー川の中間の上空に坐られました。

親族たちはお釈迦様を見ると、武器を捨てて、礼拝しました。

そこでお釈迦様は言われました。

「大王よ、これは何の争いですか」と。

ところが、王様は「分かりません」と言います。

誰が知っているのかと問うと、将軍が知っているというので、将軍に聞いてもわかりませんと言います。

将軍に誰が知っているのかと問うと、副王が知っているというので、副王に聴くと、副王も分かりませんと言います。

労働者たちに聴いてみてはじめて「水の争い」であることが分りました

「大王よ、水にどれほどの価値があるのですか」とお釈迦様は問います。

「わずかです」とこたえます。

「大王よ、王族にはどれほどの価値がありますか」と問いますと、「はかり知れません」とこたえます。

そこでお釈迦様は「わずかばかりの水のために、価値のはかり知れない王族を滅ぼすことはふさわしくありません」と言いました。

お釈迦様は、「私がいなければ今日あなた方は血の河を流したはずです。

あなた方は五種の怨みを懷いて暮らしています。

私は怨みのない者として暮らしている。

あなた方は煩悩に病んだ者として暮らしている、

私は病悩のない者である。

あなた方は欲の楽を求めることに努めて暮らしている。

私は欲の楽を求めることに努めない者として暮らしている」と仰せになりました。

五種の怨みというのは、生き物を殺したり、盗んだり、不倫を行ない、また嘘をつき、酔い痴れてしまうことです。

殺生・偷盗・邪淫・妄語・飲酒の五種を「怨み」とも言います。

そこで

怨みをいだいている人々のあいだにあって怨むこと無く、われらは大いに楽しく生きよう。
怨みをもっている人々のあいだにあって怨むこと無く、われらは暮らしていこう。

悩める人々のあいだにあって、悩み無く、大いに楽しく生きよう。悩める人々のあいだにあって、悩み無く暮そう。

貪っている人々のあいだにあって、患い無く、大いに楽しく生きよう。貪っている人々のあいだにあって、むさぼらないで暮らそう。

という偈を説かれたのです。

争いのない、勝ち負けのない、怨みのない世界を求めたいものです。

 
横田南嶺

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