怒っている人ほど悲しんでいる
清水さんは元大阪市職員であります。
その行政の現場で培った「聴くこと」と「人の内なる光を見る」ことを学んだのでした。
清水さんは十八歳で大阪市役所に入り、人事や予算財政などの部署で約二十年働いていました。
しかし二十年経った頃に、生活保護の申請が届かず亡くなる人が出たとか、物価高で生活が苦しくなっているという報道などに触れ、制度があっても必要な人に届かなければ意味がない、役所の言葉は難しすぎて自分に必要な支援を見つけられない、申請主義の壁もある、などと痛感されました。
そこで「批判する前に、住民と直接向き合い、心の声を聞いた上で自分にできることを考えたい」と思われて、区役所へ異動を希望されたそうです。
そのあとは二十年にわたり現場での相談対応に携わったのでした。
区役所の窓口というのは、生活の切実さがそのまま持ち込まれる場所です。
大きな声が飛び交い、クレーム対応も多かったようです。
しかし清水さんの仰るには、そのように大きな声で怒る人というのは、決して単なる乱暴な方ではなく、心に深い悲しみや孤独を抱え、二度と傷つきたくないという、自己を防衛しようとするから強い態度を取っているように見えるというのです。
怒っている人ほど実は悲しんでいると仰るのです。
清水さんは相手の表面に出ている怒りを見るのではなく、その心の中に赤ん坊の時のような光り耀くものを見いだされるのです。
その人の中に入っていって、生まれ持った思いやりや愛、光を感じながら、先入観なく真っ白な気持ちで話を聴くようになされていたというのです。
そうして聴いていると、その人の怒りのエネルギーがフッと消えるのだそうです。
市役所では机を挟んで話を聴いているので、直接抱きしめるようなことはできないのですが、その人を抱きしめる思いで聴かれると仰っていました。
心から愛情を持って聴かれるのです。
何の判断も加えずに心から聴いてあげる人がいると、その人は穏やかな表情に変わっていくのだそうです。
深い悲しみを知ってもらえると、それで変わっていくのです。
それには決してどんな判断もせず、助言して遮ることもせずに、相手が言いたいことを言い切るまで受け止めるのです。
清水さんが「聴ききる」と仰っていた言葉が印象に残りました。
そうすると怒りのエネルギーがふっと消え、穏やかな対話が始まります。
その方もまた、辛い出来事の事実は消えなくても、内側の光が安心して表に出られるようになって、本来の自分に戻るというのです。
そしてその一人が調うだけで、職場や地域の空気も変わり、皆が萎縮せず安心して笑える場が生まれると仰っていました。
仏教でも人は誰しも貴い仏心を持っていると説いていますが、ここまで徹底して現場で実践されていることには感服するばかりです。
清水さんに教わったことのひとつは、忙しい時などに応対に追われると焦りが起きたり、心がざわざわしてしまうのですが、焦った気持ちのままではありのままに話を聴くことはできないので、心のスイッチを入れるのだということです。
心を切り替えるのです。
慌ただしい時に呼ばれてもすぐに心のスイッチを入れて目の前の人に向き合うように工夫されているということでした。
そうかといって、焦ったりイラだったりしてしまう自分を攻めてはいけないとも仰っていました。
湧いてくる苛立ちの気持ちなどを否定せず、「腹が立ったね」と自分の感情を認め、その奥にある本当の願い、それはまわりの方に迷惑をかけたくないという責任感や、相手と分かち合いたい思い等を自ら読み取って自分を認めてあげることだというのです。
「自分はダメだ」「もっと頑張らねば」という自己否定に駆られるのはよくありません。
そこから抜け出すには自分を労わることが必要だと仰っていました。
自分の体を自分で抱きしめ撫でてさすってあげることも説かれていました。
それから、自分のためにおむすびを、心を込めて作るという話も印象に残りました。
人は家族や誰かのためには丁寧に料理などを作れても、自分のためとなると粗末になりがちです。
自分自身の為におむすびをふわっと優しく、命を結ぶように作って味わうのです。
忙しさで生活が乱れた若者が、おむすびを自分のために結ぶ習慣を得て調っていった例をお話くださいました。
おむすびを結ぶ行為に込める丁寧さが人を支える力になるというのです。
それから清水さんが今取り組んでおられる「いのちの授業」で説かれているという「三つの支え」もとても参考になりました。
それは第一に、支えとなる存在を思い出すことです。
それは親や家族などの人でもいいし、自然でもいいし、「推し」の人でもよいというのです。
二番目には将来の夢・憧れの姿を描くことです。
清水さんは大谷翔平選手を応援しておられるらしく、大谷選手を例にして、憧れの人がいると「この場面ならどうするか」と自分の感情を俯瞰でき、困難を越える力になるというのです。
三番目には選ぶことのできる自由です。
家庭や環境で多くを選べない子でも、「昼休みをどこで過ごすか」など小さな選択に気づくと、八方塞がりな状態が少しでもほどけてきます。
苦しんでいる人に対する聴き方の具体例も学びました。
これはとても勉強になりました。
苦しんでいる人にとっては、自分ことを分かってくれる人が一人でもいると救われるのです。
その鍵は、相手の言葉を否定せずに受け止め、反復して返すことだというのです。
たとえば「昨夜眠れなかった」と言われると、それに対して、「昨日はゲームばかりしていたからだ」とか、「昨日は眠れなかったから、今日はよく眠れるよ」などというのは自分を肯定してくれることにはなりません。
ただ「昨日は眠れなかったのですね」と言うと、その人は自分のことを認められたと思って、そのあと「そうなんですよ」と話が続いていくのです。
相手の言葉を反復するのですが、その言葉のあとに「ね」を着けるのです。
「昨夜眠れなかった」と言われると、「昨夜眠れなかったのですね」という具合です。
ただ「昨日の試合は自分のせいで負けたのだ」と言われると、これはそのまま返すのはよくなく、また「そんなことはない」というのも相手を肯定することになりません。
そんな時は「何々さんは自分のせいで試合に負けたと思っているのですね」と返すのだそうです。
主語を相手にして返すのだそうです。
そうするとそのあと「そうなんです」と話が続くのです。
お昼ご飯もご一緒しながら六時間近く学ばせてもらいました。
人を純粋に信じて感謝される清水さんのお姿に接するだけでもこちらの心が穏やかに変わります。
菩薩の深い心に触れた思いでありました。
修行僧たちも皆穏やかな心になっていたことが感じられ有り難い講座でありました。
横田南嶺