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臨済宗大本山 円覚寺

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2026.01.04
今日の言葉

般若札

大般若経というお経があります。

これが実に六百巻もあるという膨大な経典であります。

岩波書店の『仏教辞典』には、

「大般若経。詳しくは<大般若波羅蜜多経>。

玄奘(げんじょう)がその最晩年に完訳して間もなく没した。

いわば般若経典群の集大成であり、全600巻から成り、<大正新脩大蔵経(たいしょうしんしゅうだいぞうきょう)>の計3巻を占めて、字数は約500万字。あらゆる仏典中で最大、それも桁外れに大きい。」
と書かれています。

更に「今日も日本の各寺院で、この600巻を各巻ごと数秒間ひろげる間に一言だけ呪(じゅ)を唱えて全巻読誦(どくじゅ)に代える転読(てんどく)という儀礼がしばしば行われる。」

とも解説されています。

大般若会というのは、

「大般若経600巻を読誦する法会で、古代には主として国家安寧や除災招福を祈願するために催された。

経典の読誦には全文を読む真読と、経題や経典の一部のみを読む転読とがあったが、同経は大部のため、通例後者の場合が多い。」
と解説されています。

そのはじめについては、「我が国では703年(大宝3)に藤原京の四大寺で修したのが記録に残る最古の例で、その後も諸寺や宮中でしばしば催された。」

とありますように、すでに飛鳥時代には行われていたのでした。

「当初は臨時の行事であったが、次第に諸寺では恒例仏事として定着し、とくに大安寺(だいあんじ)では737年(天平9)に勅会となって以後、毎年4月6、7日の2日間、僧150人を請じて行われた。」

とも解説されています。

『仏教辞典』を調べていると、雨乞いにも大般若経が転読されていたと書かれています。

「雨乞」のところに、「旱魃の時、祭祀や呪術、読経などによって降雨を祈請すること。」と書かれていて、「なお日本には十六善神の画像を本尊とし、大般若経を転読する雨乞の民俗もあった。」と書かれています。

円覚寺にも「請雨経」という経典が寺宝の中にありますので、昔は雨乞いの祈禱が行われていたのだと察します。

夢窓国師も『夢中問答集』の中で、お若い頃に、臼庭というところにおられて、日照りが続いていたことを書かれています。

講談社学術文庫の『夢中問答集』にある川瀬一馬先生の現代語訳を引用します。

「私も三十年前(若い時)に、この疑問が起こったことがあった。

常陸の国、臼庭という所に独りで住んでいた時、夏の始め、庵の外を歩き廻った。

その頃(梅雨時なのに)久しく雨が降らず、辺り一帯枯野のようになっていた。

これを見て憐れむ心が深く起こった。

心中に思うよう、どうして龍神にこれを憐れむ心がないのだろうかと。

その時また反省して思うからには、龍神には雨を降らす能力はあるが、人を憐れむ心がない。自分には人を憐れむ心はあるけれども、雨を降らす德力はない。

仏菩薩は雨を降らす德力も龍神にすぐれ、人を憐れむ心も自分らよりは深いはずだ。

それなのに、このような厄難を助けなさらぬというのは、何故だろうか。」
とお考えになったと書かれています。

そのあとにこの世に思うように任せないことが起きるのは出家解脱の因になるのだと説かれています。

ある尼さんの話が書かれています。

いつも熱心に清水寺にお参りしている尼さんがいたそうです。

なにを熱心にお祈りしているのかと聞いてみると、その尼さんは枇杷の実を食べるのが好きだそうですが、あの種が邪魔だというので、枇杷の実の種を除いてくださいとお祈りしているというのです。

こんな話を聞くと愚かなことだとはすぐに分かります。

お祈りするようなことではないのです。

しかし夢窓国師は自分の都合のよいことだけをお祈りしているのでは、この尼さんの話を笑えないのではないかと仰せになっています。

禅宗では祈禱ということがあまり行われないのではないかという問いに対して、夢窓国師は

「禅宗では、直接に本分(本性)を示すだけのことである。

もし本性を悟ってしまえば、元来、生死の相などはないことがわかる。まさにこれこそ真実(まこと)の延命(ながいき)の方法だ。

また、わざわいの相などを見ない。これぞ真実の無事平穏である。

貧福の相を離れてしまうから、まさに真実に増益(ふえること)である。

怨敵だと言っていやがるような者もない。これまさに真実の調伏である。

憎いとかかわいいとかの隔てもない。これこそ真実の敬愛というものだ。もしこの道理を信ずる人なら、禅宗には苦厄をやめるご利益が欠けていると批難するはずはないと思う。」とお示しになっています。

本分というのは悟りの世界、仏心の世界のことです。

仏心の世界には「元来、生死の相などはない」のです。

これが真実の延命(ながいき)だというのです。

また「わざわいの相などを見ない」のです。

禍福という区別がないのです。

みな自分の都合のよいようにわざわいだとか幸せだとか色づけをしているだけなのです。

「貧福の相を離れる」のが真実の御利益なのです。

「怨敵だと言っていやがるような者もない」のです。

自分の都合で敵だと決めつけているだけです。

「憎いとかかわいいとかの隔てもない」のです。

この隔てのない世界が空の世界です。

この空を説いたのが大般若経なのです。

その大般若経を転読して祈禱をします。

転読は「経題と経の一部分だけを読んで全巻の読誦(どくじゅ)に代えること」です。

「国家安泰・五穀豊穣・病気平癒などを祈って大般若経600巻などを読誦することは、日本ではすでに奈良時代から行われていたが、次第に儀礼化した略読が主となり、折本(おりほん)を空中で翻転する華やかな形式となった」ものです。

そうして祈禱したお札が般若札です。

三が日は大般若の祈禱をして、四日からその般若札を信者さんのお宅に配ってまわるのです。

 
横田南嶺

般若札

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