風呂のはなし
そう言われて、自分もはじめて臘八の摂心を終えてお風呂に入れてもらった頃を思い出しました。
お風呂に入って布団を敷いて横になる、こんなことは普段はなんでもないことと思っています。
それがひとたび臘八のような非日常な時を過ごすと、とても貴重なことに思えるのです。
そんなことを思っていると、新聞の投書欄にお風呂の話が載っているのを目にしました。
その投書を書かれた方は、子供のころ。社宅でお風呂がなく、週に二三回銭湯を利用していたそうです。
定時制の高校に入って夜遅くなり銭湯にも行けなくなったと書かれていました。
夏は家の水道で体を洗ったというのです。
卒業の後は、給料をためて二十代で風呂付きの家を買って、いつでも風呂にはいえるのがとにかくうれしかったと書かれていました。
そんな文章を読みながら、ふといろんなことを思い起こしました。
水道で体を洗うなどというのは私も懐かしいものです。
管長に就任するまではお風呂のない暮らしでしたので、夏は洗面器に水をいれて、それで汗を拭いていたものでした。
それでもその頃は、そうして汗を拭けるだけでじゅうぶん有り難いと思っていました。
修行道場のお風呂にはタオルと石鹸を持って入りに行かせてもらっていたのでした。
そんなことが不自由とも思いませんでした。
代々の老師方もそうだったのです。
先代の管長足立大進老師が修行時代には、修行道場でお風呂を湧かすと、まず当時蔵六庵にお住まいだった古川堯道老師にお声をかけてお風呂に入っていただいていたと聞いています。
堯道老師が、杖を着いてお風呂に入りに来ていたそうなのです。
もう八十代の頃だと察します。
朝比奈宗源老師の晩年に正伝庵を管長のすまいとしてお風呂がつけられたのでした。
それまで朝比奈老師もお風呂はなかったのであります。
私など学生の頃、学生寮では共有のお風呂に入っていました。
出家して小池心叟老師のもとにいました頃も、小池老師は修行道場に準じたお暮らしでしたので、お風呂は特別な時に沸かしていました。
それは風呂を沸かすということは貴重なことだったのです。
小池老師からうかがったことがあります。
戦後小池老師は戦災を受けたあとのお寺に入られて、先住職の老僧のお世話もなさっていました。
お風呂は無くて知り合いの方のお風呂に入れてもらっていたそうです。
それを老僧が嫌がるようになって、境内の片隅に小池老師がご自身でセメントを使って五右衛門風呂をしつらえて、老僧を抱えてお風呂に入れてあげたという話を伺ったことがあります。
そんな思いをなされていた老師でしたので、お風呂は特別なものでした。
私がお世話になった頃にはガスで湧かせるお風呂になっていましたが、それでも毎日入るなどというのは贅沢だという感覚をお持ちでした。
投書を書かれた方は二十代でお風呂を自由に使えるようになったと書かれていましたが、私は管長になってからのことでした。
管長のすまいを使わせてもらうようになって驚いたのは電気洗濯機という便利なものがあるのと、お風呂に入れるということでありました。
今あたりまえのようにお風呂にも入れてもらっていますが、有り難いことだとしみじみと思います。
お風呂に入って悟ったという話もあります。
『碧巌録』の第七十八則です。
岩波書店の『現代語訳 碧巌録』にある訳文を引用します。
「昔、十六人の開士が、施浴の時、作法どおりに入浴し、はっと水の本質を悟った。
君たち、彼らが、「霊妙な感触が明らかになり、仏の子の境地に安住する」と言ったのを、どう理解する。
やはり突き破って穴だらけにせねばならぬ」というものです。
「開士」とは菩薩のことです。
『楞厳経』に跋陀婆羅菩薩と連れの菩薩が入浴した際に水に因って悟りを開いたという話です。
そこから禅寺ではお風呂に跋陀婆羅菩薩をお祀りするようになっています。
お風呂に入るときには、この跋陀婆羅菩薩に礼拝してから入ります。
それから禅堂と食堂と浴室は三黙堂といって、しゃべってはいけないことになっています。
黙ってお風呂に入るのです。
それからお風呂を沸かす当番というのもあります。
浴頭といいます。
これはお風呂を焚くのが仕事なのです。
この役割は楽しいものでありました。
なにせお風呂を沸かしていればいいのです。
それからお風呂に入っている方のお背中を流したりもします。
これもまた修行なのであります。
気持ち良さそうに喜んでもらえるので、私には楽しいことでありました。
それに冬は寒いので、お風呂で火を燃せるのは暖かくてうれしかったものです。
円覚寺の修行道場は、もとは五右衛門風呂でした。
それが割れてしまい、また私の代で新しい五右衛門風呂を用意しましたが、それも壊れてしまい、今は薪でボイラーを使って沸かすようになっています。
五右衛門風呂というのは体ごと鍋でゆでられるような感じでよく温まるものでありました。
それだけに油断するとすぐ熱くなりすぎたりします。
そのままでいると冷めてしまいます。
お湯加減を聞きながら薪をくべてお風呂を沸かしていた頃を懐かしく思いだします。
つまらぬお風呂の話でした。
横田南嶺