本日成道会
成道会について、岩波書店の『仏教辞典』には、
「釈尊の成道を祝って行われる法会のこと。
わが国では、釈尊は12月(臘月)8日に成道したと伝えられているため、成道会を<臘八会(ろうはちえ)>ともいい、この日に行われるのが普通であるが、南方仏教ではウェーサク祭として、5月の満月の日に誕生・涅槃(ねはん)などと一緒に祝われている。臘八。」
と書かれています。
ここにありますように、南方の仏教ではまた別の日となっています。
お釈迦様は、インドの王子様として生まれになって、生老病死の問題について深く悩まれて出家されたのでした。
増谷文雄先生の『阿含経典による 仏教の根本聖典』には、
「比丘たちよ、その時、わたしはまだ年若くして、漆黒の髪をいただき、幸福と血気とにみちて、人生の春にあった。
父母はわたしの出家をねがわなかった。
わたしの出家の決意を知って、父母は慟哭した。
だがわたしは、ひげとかみを削りおとし、袈裟衣をまとい、在家の生活をすてて、出家の修行者となった。」
と書かれています。
はじめはアーラーラ仙を訪ねて教えを請いました。
修行に熱心だったお釈迦様でしたので、アーラーラ仙からは早くに認められたのでした。
しかしお釈迦様は「この法は智に導かず、覚に導かず、涅繋に導かぬ。わたしは、この法をすてて、 さらに無上安穏の涅槃を求むべきである」と思って、彼のところを去ったのでした。
お釈迦様はさらに無上安穏の涅槃を求めて、ウッダカ仙を訪ねました。
ここでも高い瞑想の境地に達したのでしたが、お釈迦様は「この法も智に導かず、覚に導かず、涅繋に導かぬ。わたしは、この法をすてて、 さらに無上安穏の涅槃を求むべきである」といって去ってゆきました。
さらにお釈迦様は、自ら苦行の道を選ばれました。
自分のからだを痛め苦しめて解脱をはかろうとしました。
はじめは断食に挑みました。
一日に一食とり、また半月に一食取り、さらには一月に一食取り足を組み威儀をただして坐り、雨風にも稲妻にもめげずにただ黙然と挑みました。
やがて体はみるみる痩せてきて、手足はまるで枯れた蘆のようであり、尻はラクダの背のようになり、そして背骨は編んだ縄のように顕れ、肋骨は腐った古屋の垂木のように突き出て頭の皮は熟し切らないひょうたんが日にさらされたようにしわんで来て、ただ瞳のみは落ちくぼんだ深い井戸に宿った星のように輝いていたと仏典には書かれています。
このお釈迦様の苦行の様子を彫刻で表したのが釋迦苦行像です。
パキスタンのラホール美術館にあります。
骨と皮ばかりにやせ衰え、それでいて瞳だけは輝いているお像であります。
円覚寺の修行道場では、この苦行像の写真を飾っています。
臘八の摂心の時にも必ずその話をしています。
お釈迦様の当時のご様子をしるしたものには、「腹の皮をさすれば背骨がつかめた。背骨をさすれば腹の皮がつかめた」と書かれています。
立とうとすればよろめいて倒れ、根の腐った毛ははらはらと落ちました。
さらにお釈迦様は無息の禅定に入られます。
呼吸を止める修行に挑まれました。
口と鼻との呼吸を止めると内にこもった息はすさまじい音として耳から流れ出ました。
ある時は墓場に宿を取られ、羊飼いの子供たちに囲まれて、つばを吐きかけられ、泥を投げつけられ、亦木の枝をとって耳に差し込まれました。
それでもお釈迦様は自ら心を調えて少しも怒ることはありませんでした。
日に焼かれ寒さに凍え恐ろしき森に一人衣もなく火もなく理想の光に一人坐り続けました。
このようなお釈迦様の苦行の様子をみて人はもうお釈迦様は死んだと思い、有る者はやがて死ぬであろうと思ったほどでした。
過ぎし世のいかなる出家も行者も、来るべきいかなる出家も行者もこれ以上の烈しい苦行は見たことがないと言われたほどでした。
しかしながら苦行の甲斐なく六年の歳月は過ぎました。
お釈迦様はいたずらに肉体を苦しめるより食を取り身体を養い心の上から悟りを得ようとお考えになって、尼連禅河に沐浴してウルビラの村の地主の娘スジャータから牛乳でつくったおかゆの供養を受けて、そこで草を刈っていた童子に枯れ草を供養してもらいそれを座布団のようにして坐り、ここで正しい悟りが得られるまではこの坐を立たないと決心してお坐りになりました。
そこで悪魔の王があらゆる手段を講じてお釈迦様を誘惑しようといたします。
その悪魔の軍勢を退けてついに悟りを開かれたのでした。
その時の心境を
「まこと熱意をこめて思惟する聖者に
かの万法のあきらかとなれるとき
あたかも天日の天地を照らすがごとく
悪魔の軍を破りてそそり立てり。」
と表現されています。
これが十二月八日とされているのです。
そこで十二月八日に向けて一日から摂心に取り組みます。
本日の午前10時に佛殿において成道会の法要をお勤めします。
こちらはどなたでも佛殿の中に入ってお参りできるようになっています。
一時間ほどかかる法要ですが、お参りくだされたば幸いであります。
一週間禅堂で横にならずに坐り抜いた修行僧の姿も尊いものであります。
横田南嶺