清楽
この正月号は、年末年始のご挨拶にも使わせてもらっています。
巻頭にはいつも拙い色紙を書いています。
下手な馬の絵に「清楽」の二文字を書いています。
「円覚』正月号には、新年を迎える心を簡単に書いておきました。
私自身としては、二〇二五年に円覚寺派管長三期十五年の任期が終わって四期目に入り、花園大学総長も四期八年の任期を終えて五期目に入ったことを書きました。
また新たな一歩なのです。
円覚寺としても、二〇三五年には開山仏光国師の七百五十年の大遠諱を迎えるので、それに向けて準備を始めないといけないと書きました。
管長としてなすべき仕事はたくさんあるものです。
どれだけのことが出来るか、分かりませんが、還暦を超えた年齢も考慮に入れながら、出来る限りのことを務めて参りたいと願っています。
そのあとに「清楽」の二文字を書いたことについて記しています。
特別にこの言葉と馬とは関係はないのです。
『円覚』誌には、「清楽」について次のように書いています。
「今年の年頭の色紙には「清楽」という言葉を揮毫しました。これは『坐禅儀』にある言葉です。昨年修行僧たちに『坐禅儀』の講義をしていて良い言葉と思ったのでした。
坐禅というと足の痛いのを我慢して修行するという印象が強いと思いますが、『坐禅儀』には「坐禅は乃ち安楽の法門なり」と書かれています。安楽の教えなのです。そのあとには「而も人多く疾を致すは蓋し用心を善くせざるが故なり」とあります。怪我をしたり体を壊すのは十分用心ができていないからだというのです。
今は昔と違って生活習慣がずいぶんと変化しました。イスに坐っての生活が中心となっています。修行道場に来る青年達も坐ることに慣れていないことが多く、体をほぐしたり体操しながら坐禅に慣れてもらうように努力しています。膝や腰を痛めたり体を壊すことのないように注意しています。
また一般の方の為にはひろく「イス坐禅」をお勧めしています。昨年は『イス坐禅』という本も上梓しました。単に苦痛を与えるのではない「安楽」の坐禅を体験してもらうものです。
『坐禅儀』には正しく坐禅すれば「自然ににして精神に、正念分明にしてをけ、として清楽ならん。」と説かれています。
正しく坐禅すると、自ずから身体は軽く安らかになり、心は爽やかになります。意識は統一されてはっきりとしてきます。そのようにして仏法の深い味わいが私たちの精神を育ててくれます。どこまでも落ちついて安らかで楽しいことになります。
この「寂然清楽」というのは良い言葉と思います。そこから「清楽」の二文字を揮毫したのでした。」
ということであります。
『円覚』誌で好評なのが、瑞泉寺住職大下一真和尚の「信心ことはじめ」です。
もう五十一回にもなる連載であります。
大下和尚は歌人としても著名な方で、その博識振りがうかがえます。
はじめにこんな句が紹介されています。
「我富めり新年古き米五升」
という芭蕉の句であります。
こんな句を選ばれるとはさすがであり、よく読み込んでおられるからだと思いました。
大下和尚の解説を紹介します。
「古い米だけれど五升を抱えて新年を迎えたのだから豊かなものだと、芭蕉翁は言います。
米の值段が上がって政府が備蓄米を売りに出した昨年のことを、思い出しました。
古米か古古米か知らないけれど、少し味は落ちるけれどまあ仕方がないかと笑い合いました。
芭蕉翁の財政は知らないが、古米五升あれば豊かだというのは、心の持ちようを言っているのでしょうか。」
と書かれています。
一升は1.5キロですので、五升だと7,5キロのお米であります。
また
「乏しきに馴れきよらかに年迎ふ」
という句も紹介されています。
こちらの解説には、
「これも同じような心境でしょうか。ものを欲しがっていつも足りない足りないと不満を言っても、幸せではない。「乏しきに馴れ」を仏教では「知足」=足るを知ると申します。」
と書いてくださっています。
蓮沼直應先生の「明治居士列伝」は既に第九回です。
今回は土屋大夢という居士の方の紹介です。
土屋元作という戦前日本のジャーナリストのようですが、私は存じ上げませんでした。
明治の頃、脚気を患ってその転地療養のために円覚寺に来たそうです。
そこで今北洪川老師にめぐりあって参禅するようになり、「大夢」という居士号を受けたのでした。
漢方医の桜井竜生先生は、「病気の治し方は人それぞれ」と題して書いてくださっています。
漢方薬の服用を避ける方の話であります。
この頃は病院でもよく処方されるようになっている漢方薬ですが、避ける方もいるようです。
十二歳のアトピー性皮膚炎の子供の話は興味深いものでした。
漢方薬で皮膚のかゆみは軽減するのですが完全に無くなるわけではなかったようです。
シンガポールで幼少期を過ごして子らしいのですが、夏休みにオーストラリアに旅行するとかゆみや炎症が三日で回復したそうです。
その後も何度かオーストラリアに行くと皮膚炎が改善するそうです。
そこで子供のためにオーストラリアに家を買って移住したという話です。
皮膚炎は改善したまま大学生になったというのですが、シンガポールの友人を訪ねてゆくと二日目には全身にかゆみがでるらしいのです。
これはシンガポールではその子に何か反応する抗原があり、オーストラリアにはその物質がないのだろうと桜井先生は書かれています。
病気はいろいろあって難しいのだと学びました。
なにはともあれ、大きな病も無く無事で「清楽」であってほしいものです。
横田南嶺