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臨済宗大本山 円覚寺

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2025.11.23
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和尚さんの研修会

先日は臨済宗建長寺派、方広寺派、向嶽寺派そして円覚寺派の合同の住職研修会が開かれました。

二つの講座が行われました。

一つは私のイス坐禅講座で、もうひとつは佐々木閑先生の講義であります。

私のイス坐禅は、三日間連続となりました。

連続とは言っても場所も違えば、対象の方々も異なるので、全く違う内容であります。

私の講座は九十分でした。

はじめの三十分ほどはお話をしていました。

なぜイス坐禅なのか。

決して畳の上に足を組んで坐ることをやめるわけではありません。

長い間、イスの研究をしてきましたが、やはり床の上に足を組んで坐るという安定感に勝るものはありません。

結跏趺坐や半跏趺坐というのは、安楽な坐法なのです。

私も日常ではイスを使うことはないのです。

一人で坐禅をするのにイスで坐ろうとは思いません。

しかし、イスの時代になりました。

お寺の法事でもイスを出されるようになりました。

葬祭場もイスであります。

今は和食のお店でも畳の上にイスか、直接坐るところでは掘りごたつのように足を組まなくてもいいようになっています。

先日の能楽堂で謡を拝聴した折にも、正座して謡の稽古をするのは難しくなってイスで行っているとうかがいました。

イスに坐って発声するのと、畳に正座して発声するのとでは、何らかの違いがあるように感じます。

私などはやはり畳に坐る文化やその身体感覚を大事にしたいものです。

しかしながら、高齢化の時代を迎えました。

高齢になると膝を痛めることが多くなります。

正座や足を組むことが難しくなります。

また生活様式が変わりました。

デスクワークというのはイスに坐るのです。

もう畳の上に正座して算盤をはじくような姿を見ることはないのです。

その結果高齢の方ばかりでなく若い人も足が組めなくなってきています。

本音を言えば、畳に座る文化を取り戻そうと言いたいのですが、私ごときが声をあげてもどうにもなるわけでありません。

イスに坐るというのは、腰掛けるという言葉があるように、しっかり坐るという感覚ではありません。

床に坐った状態から立ち上がる途中の姿のように感じます。

それでもこのイスに坐るという状況の中で生きざるを得ないので、どのように坐ればいいかを工夫しているのだと伝えました。

それから都内のイス坐禅の会を始めたことなどを話しました。

寺で行うのと違って、都内の会議室を借りて自分たちでイス坐禅の会を始めたのでした。

会議室を借りる費用がかかりますので、参加費も相当なお値段になります。

それだけに実施する方も真剣に取り組みます。

三十回続けてきましたが、同じイス坐禅をしたことがないのです。

常にリピーターの方が多いので、工夫し新しく行っています。

一回一回が真剣勝負に臨む気持ちなのです。

無料であるとか、安価な企画は尊い布施の心だとは思いますが、内容の質が低下してしまう恐れもあると伝えました。

それからイスで坐るのは臨済宗で大事にしている動中の工夫に近いものだと申し上げました。

そのあと一時間ほどかけてイス坐禅を実習しました。

今年の五月に建長寺派の和尚様方にもイス坐禅の講座を行っていますので、今回はその時とは違って手から整える方法を用いました。

合掌の仕方で体が変わるのです。

そうしていつものようにいろんな体操をしながら姿勢を調えてゆきました。

最後には割り箸を使って股関節の引き込みを行って腰を立ててみました。

それから手ぬぐいを足首の上に巻くようにもしました。

これで総てが調ったと思ってからしばし坐りました。

毎回のことですが、私自身とてもよく坐れました。

安楽の姿勢は心の安らぎを生み出します。

手ぬぐいを足に巻いて坐るのに感動されたという和尚様もいらっしゃいました。

その和尚様のお寺でもイス坐禅をなさっているそうなのですが、足が不安定なことに悩んでいたそうです。

手ぬぐいを巻くことによって安定して坐れるようなった、その効果に驚いていました。

そんなイス坐禅の講座を終えて佐々木閑先生の講座となりました。

佐々木先生の講義は「現代社会における宗教の存在意義」という題でありました。

お釈迦様の伝記から仏教の本義を学ぶという内容でありました。

とても充実した講義の1時間半でありました。

AI時代における仏教の役割にも言及されました。

これからはAIが人間の仕事を奪っていくと言われています。

コンピュータープログラマーというような仕事はなくなると言われています。

デザイナーの仕事もなくなりそうです。

自分はこれをやっているのだという各人のアイデンティティが揺らぐのが、これからの時代なのです。

そんな時に、これが自分の仕事だ、自分の業績だ、自分の物だといって、「我」にしがみつく生き方は益々苦しみを生むのです。

それに対して「私という実体はない」と説く「諸法無我」の教えは、人々を絶望から救う心の支えとなり得るというのであります。

諸行無常と諸法無我の真理こそがこれからを生きる大きな指針となるのです。

ご講演を拝聴して控え室に戻ってしばし佐々木先生とお話しました。

私がこんなことを申し上げました。

今はAIの進化によっていろんな問題が起きると最先端の技術を学びながら、それと同時に熊が山から下りてきて問題になるという、太古の昔から変われない問題もあり続ける、この両極端が共存する時代ですねと。

すると佐々木先生は、どちらも苦しみの原因は我なのだと仰いました。

確かにAIの問題にしても私の仕事が奪われるという、我による苦しみですし、熊も問題にしても人間の我が問題なのです。

無常であることを正しく理解し無我である真理を見つめることが大事だと改めて学んだのでした。

 
横田南嶺

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