イス坐禅と法話
一日と十五日の早朝に行うのです。
それに合わせて新しい住職や副住職になる儀式が行われることがあります。
円覚寺派には二百十ほどの末寺という寺院があります。
そのお寺の住職または副住職になるにあたって本山で儀式を行うのです。
はじめは紺の色の法衣を着けて開山仏光国師をお祀りしている開山堂の前にある舎利殿で、禅問答を行います。
それを管長はじめ一山の僧侶が見守ります。
そしてご自身が住職または副住職になるにあたっての心を漢詩に託して開山様の前で唱えます。
それから仏光国師にお経をあげるのです。
その後方丈に移って改衣式を行います。
今までは修行僧として着ていた紺の法衣を、和尚としての茶色の法衣に改めるのです。
そこで管長が住職或いは副住職の辞令をご本人に渡すという儀式をします。
その後佛殿に移って今上天皇への祈りの法要を務めます。
更に新しい住職また副住職は、円覚寺山内の和尚様、そして参列してくださった和尚様や檀信徒やご縁のある方々を前にして法話を致します。
そんな一連の行事を早朝から行っていました。
今回は二人の和尚さまが修行僧から、一人は住職にもう一人は副住職になったのでした。
そのような儀式を終えて午前中には、スティーブン・マーフィ重松先生ご一行がお見えになりました。
スティーブン・マーフィ重松先生とは二〇一七年に建長寺でZen2.0の企画でご一緒して以来のご縁であります。
久しぶりにお目にかかることができました。
スティーブン・マーフィ重松先生のもとで学ばれているというお若い方々もご一緒で、いろんな質問に答えるという会になりました。
話が進んでいると時間も忘れてしまうものです。
気がつくと、事務所の者が、管長そろそろ時間ですと告げられました。
そのあと私は世田谷区野沢の龍雲寺様に行きイス坐禅と法話の会を行う予定になっていたのでした。
その日はとても穏やかな秋の日でありましたので、電車を使って行くことにしました。
横浜まで横須賀線で行って、そのあと東急東横線で学芸大学まで行きました。
龍雲寺様からの迎えに行くと言ってくださったのですが、ゆっくりと街を歩きたいと思ったのでした。
歩くことは体にいいものです。
学芸大学駅を降りて商店街を歩きました。
大勢の人で賑わっています。
そんな通りを過ぎると閑静な住宅街になります。
途中で公園があって子供たちが遊んでいます。
木々が黄葉し、落ち葉が風に舞っていってなんとも言えない秋の風景であります。
ゆっくり歩いて龍雲寺様に着きました。
ところが私は午後二時から始まると思っていたのが勘違いで、二時半からでありました。
控え室でしばしゆっくりさせてもらいました。
書院の床の間には初めて拝見する白隠禅師の大幅が掛けられていました。
それから墨蹟をいくつも掛けている展示室も拝見しました。
「動中の工夫は静中に勝ること百千億倍す」という書をしみじみと拝見しました。
そのあとイス坐禅が始まりました。
皆さんの前で一時間ほど行いました。
はじめにイス坐禅は、じっと動かずに坐るというよりも「動中の工夫」に近いものですと申し上げました。
イスに坐るという姿勢がどうもあまり安定しません。
もともと大地にしゃがんで坐っていた姿勢から立ち上がる途中の姿のようであります。
「腰かける」という言葉があるようにその途中の中途半端な姿でもあります。
そんなイスに坐るというのは難しいのです。
どのように姿勢を調えるのか、今回は手から行ってみました。
そこで皆さんにお土産に持参した鳩サブレーを使いました。
タオルをたたんで鳩サブレーを包んでもらいました。
それを両手でソッと挟むようにして持つのです。
鳩サブレーは強く力を入れて挟むと割れてしまいます。
割れないようにソッと包み込みます。
これで手がやわらかくなります。
体全体もつながるようになります。
そこで会場を見渡すと、天台宗の小野常寛さんの姿が見えましたので、実験台になってもらいました。
まず普通に立ってもらって私が横から押してみます。
ソッと押すのですが、体が横に揺れます。
ただ小野さんは行をなさっている方なので、なにもしなくてもすでに体がどっしりと安定していらっしゃいます。
そこでタオルにくるんだ鳩サブレーを両手で持ってもらいました。
今度同じように押してみても全く動じなくなっているのです。
ソッと大事なものを抱えているように手を合わすだけで手の感覚が変わり体全体が変わるのです。
そんなことをしながら、首や肩から始めて全身を調えてゆきました。
お腹もテニスボールを使ってほぐすようにしました。
足も行いました。
そして仙骨を立てて坐ると皆さんがとても美しい姿勢に変わっているのが分かりました。
そのまま気持ちよく坐ることができました。
この体操と坐禅で私も早朝の儀式からの疲れや緊張がすべてとれてしまうのです。
そんな調った状態になった後に法話を行いました。
法話では紙の資料などの用意はしませんでした。
資料を用意するとその資料を見ようとして首が前に出て姿勢が崩れてしまいます。
調えたイス坐禅の姿勢のままで聞いて貰おうと思ったのでした。
私も何の資料も用意せずに、イスに坐って思いついた事をその場で語るという法話にしてみたのでした。
こんな試みも始めてであります。
それでも長年の経験からなのか、ちょうど一時間で話が終わったのでした。
イス坐禅で身心が調うと自然な法話もできるのだと学ぶ事ができたのでした。
横田南嶺