最高のイス坐禅
三十回の歩みをしみじみ思いました。
はじめて自分たちで会場を視察して、申し込んで用意しました。
どこがいいかずいぶんと試行錯誤したものです。
どんなイスなのか、いろいろ考えてもみました。
はだしになってもらいたいので、ある程度清潔な方がいいので、これも考慮したものです。
結局今行っている八重洲にある会議室を借りるようにしました。
どれくらいの人数がいいのか、はじめは三十人でした。
三十人くらいがちょうどいいのですが、多くの方が参加したい、体験したいといってくださるので、五十人に増やしたのでした。
料金の設定にも悩んだものです。
先日もあるお寺の和尚様と話をしていて、私がイス坐禅や布薩の会など、新しい企画を始めていることについて、お寺側の反応はどうなのか、気になっていると言われました。
これは残念ながら、お寺というのは、特に円覚寺のような長い伝統を守っているところでは新しいことはあまり歓迎されているとは言いがたい一面があります。
これは決して悪いわけではありません。
受け継がれた伝統を守り伝えていくことが最も大事なので、そこに力を注いでいるからであります。
ただ私は、伝統を守りながらも、そこにまた新しい水を注いでいかないといけないのではないかと思っているのです。
新しいイス坐禅の会が、寺にとって経済的な負担になるようでは継続は難しくなります。
どうにか収入と支出が釣り合うように設定しないと続けられません。
それでも役員会などでは問題にされることもあったのですが、どうにか大勢の方が楽しみにしてくれているというので続けることができています。
試行錯誤の三十回でありました。
イス坐禅をどのようにしてやるかについても試行錯誤の連続でありました。
毎回同じでもいいのですが、行っていると何度もお越し下さっている方が多くなってきましたので、毎回新たな工夫を加えるようにしてきました。
これは有り難いことに私自身毎月いろんな先生に教わり研究を重ねているので、毎回新たな発見があって、それをお伝えするようにしています。
これによって自分自身も一層身体について深く学べるようになってきました。
自分自身からだが調うようになりました。
それから毎回いろんな道具を使います。
これまた工夫の楽しみであります。
紙風船を使ったこともありました。
ヒモを使ったこともありました。
テニスボールは定番になっています。
タオルも欠かせません。
タオル体操はいいものです。
ビー玉も使いました。
ストローも用いたこともありました。
割り箸も使いました。これも効果的です。
最近は手ぬぐいを用いています。
この手ぬぐいの効果は今年からの発見であります。
そんなイス坐禅の試みが出版社の耳に入って『イス坐禅』という本まで出版しました。
動画もついているのです。
ただ出版のあとも進化発展しているのがイス坐禅であります。
本を出した時点ではまだ手ぬぐいは出ていないのです。
この手ぬぐいの効果はとても大きいものです。
毎回行って多くの方から有り難い感想をいただきます。
電車や新幹線、それに飛行機など移動の時間が楽になったという声はよく聴かされます。
肩こり腰痛が減ったという声もありがたいものです。
日常の暮らしが変わってきたという声は嬉しいものです。
また私自身がイス坐禅の研究を通して坐禅で最も大事なことは何かが少し見えてきました。
毎回いろいろ試みながらイス坐禅をして、自分自身もよくととのったなと思って坐っているのですが、毎回皆さんは今回どう感じられたかなと気になっていました。
そこであとから感想を聞いてよかったと安堵していたものです。
それから感想を聞くと、何が効果的なのか、自分では良いと思っていても伝わりにくいのは何か分かるのです。
これまた研究になるのです。
ところが先日のイス坐禅では、新しい変化がありました。
私自身が実に深く静かにそして頭のてっぺんから足のつま先まで一つになって、この体が大宇宙の中にとけ込んでひとつになっていくという坐禅ができました。
この時には今までのように、今日体験された方はどう感じたろうかという思いは生まれせんでした。
これでじゅうぶん、これで完全に調ったという充足感がありました。
もう他の人の感想を聞くまでもなし、これでよしという思いに充ちたのでした。
ちょうど三十回やってきましたので、今までの二十九回の試行錯誤が今回のイス坐禅に昇華されたという思いでありました。
すべてが調った、もうこれでいいという思いになったのでした。
終わったあとに、毎回ご参加くださっている方のお一人が、私に近づいてきて、今日は最高でしたと伝えてくださいました。
もっともこれでじゅうぶんと満足しながらも更にまた研鑽を重ねていくのがこの道なのであります。
イス坐禅は都内で六時半から八時半まで行っていますので鎌倉に帰るのが夜遅くなります。
始めた頃は遅くなって疲れると感じていましたが、だんだんと疲れなくなってきました。
いやむしろイス坐禅によって身心がとても調うで疲れないのです。
睡眠時間はいつもより短くなるのですが、とても充たされた思いで朝の目覚めも爽やかになるのです。
ただ休めば疲れがとれるというのではなく、体がよく調い呼吸が調ってこそ疲れもとれるということがよく分かりました。
それが寺の坐禅堂で坐禅をしているとよく分かっていましたのが、都内の会議室でイスで坐っても同じだということが三十回の会を重ねてようやく実証できたのでした。
どこで坐っても同じ、イスも同じというのは簡単ですが、自分自身のからだで納得するにはやはり研究と修練が必要なのです。
三十回のイス坐禅を終えて今まで多くの方から良かった、有り難いという感謝の言葉をいただいてきましたが、一番その恩恵をいただいているのは自分自身だと思いました。
私が唯一すべての会に参加しています。
そしてそのための準備時間を入れるとぼうだいな時間を坐るために費やしてきました。
実に一番の功徳をいただいたのでした。
横田南嶺