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臨済宗大本山 円覚寺

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2025.10.15
今日の言葉

本願寺にお参りしてお念仏

先日花園大学の授業では「魔」について講義をしていました。

仏道を妨げるものを「魔」といいます。

内魔と外魔といろいろあります。

自分たちの教えを妨げるものは「邪魔」だとして、それを退け攻撃しようとする宗教もあります。

自分たちの教えこそが正しい、この世の中を救う教えであるから、それを妨げるものは排斥しようとする考えであります。

これが争いを起こすことがあります。

しかし、仏教では魔を排除しようということはないのです。

それは自分自身の心からくるものであると内省するのです。

そして攻撃するのではなく、魔とはどのようなものか正しく観察して無心に修行に打ち込んでとりあわないのです。

こういうところにも仏教の特徴が現れています。

禅の修行をしても自分の修行に誇ってしまい、魔になることがあります。

かつて禅天魔とそしられた時代もあったのです。

慢心が魔となることもあります。

心を静めているのは尊いことですが、騒がしい人を批判し出すと魔であります。

また自分だけの高い悟りの境地に酔ってしまうことも魔であります。

大用現前、規則を存せずという言葉がありますが、高い悟りの境地に誇って、細かな規律を無視してしまうようなことも魔であります。

魔というのは難しいのです。

知らぬうちに気がついたら魔になってしまっています。

特に修行というのは大事なことですが、修行に誇ったりしてしまうと問題になります。

せっかくの修行が慢心の種となり、魔の原因となってしまっては元も子もありません。

そこへいくとお念仏の教えは、どこまでも自分の愚かさを見つめて、こんな愚かな自分でも救われるという安心の教えであります。

謙虚な教えでもあります。

禅の立場からみると、お念仏の教えは素晴らしいものだと思っています。

インドから中国へと仏教が伝わっていって結局中国においては禅と念仏のふたつが残っていったのでした。

禅と念仏は大乗仏教の究極でもあります。

花園大学で講義を終えるといつもはそのまま鎌倉に帰るのですが、次の日にNHK京都文化センターで講演をする仕事が入っていたので、京都に泊まりました。

翌朝はいつも三時に目が覚めて百八礼拝を行っています。

朝の六時から西本願寺で、晨朝という朝のお勤めが行われています。

こちらにお参りしてきました。

大勢の方が早朝からお参りされています。

私のその片隅に坐ってお念仏を唱えていました。

はじめに阿弥陀堂で讃佛偈をお唱えしました。

それから御影堂に移って、正信偈と高僧和讃の一部をお唱えしました。

讃仏偈は、

光顔巍巍 威神無極  如是焔明  無与等者

から始まります。

独特の抑揚がついて読みます。

仮令身止 諸苦毒中 我行精進 忍終不悔 

で終わります。

法要を務めるお坊さんたちも大勢いらっしゃいます。

そしてお経を唱えるお声が実に美しいのです。

禅宗で唱えているのとはまた違うものです。

阿弥陀様の浄土を思わせるような美しいお声でお唱えしお念仏をします。

本願寺は、どういうお寺なのか『広辞苑』には、

「浄土真宗の本山。親鸞の死後、1272年(文永9)京都東山大谷に御影堂を建てたのに始まり、1478年(文明10)より蓮如が京都山科に再興。

次いで大坂石山に移ったが、1602年(慶長7)に東西に分立。」

と書かれています。

名前の由来はもちろんのこと阿弥陀様の本願によっています。

本願寺は親鸞聖人を開祖としていますが、実際の開創者は曾孫の覚如上人です。

1272年(文永9)親鸞の末娘覚信尼と東国門弟が協力して東山大谷に親鸞聖人の廟堂を建てたのがはじめです。

八世の蓮如上人が京都山科に本願寺(山科本願寺)を作っています。

山科本願寺といいます。

1532年(天文1)に山科本願寺は焼かれてしまいます。

いろんな対立があったようです。

そして十世証如上人は大坂の石山本願寺に拠点を移しました。

これが石山本願寺であります。

石山には蓮如上人が1496年(明応5)に坊舎を建てていたのでした。石山御坊といいます。

石山本願寺は1570年より80年まで、かの織田信長と激しく戦ったのでした。

西本願寺は、1591年豊臣秀吉が寄進した現在地に移ったのです。

現今の堂宇は1636年(寛永13)の再建。

唐門・飛雲閣など桃山建築の遺構も残していて世界遺産にもなっています。

東本願寺は徳川家康の支援によって1602年に西本願寺より独立して出来ています。

かくして本願寺は東西に分かれて今に到ります。

あまりにも大きかった勢力を分断したのだという説もあります。

「本願誇り」という言葉もあります。

これは『広辞苑』には

「どんなに悪いことをしても、阿弥陀仏の本願の絶対的な力によって許されるとする浄土真宗の異安心の一種。」と解説されています。

本願も受け取り方によっては魔になってしまうのです。

どこまでも謙虚に己の愚かさを見つめて阿弥陀様に救われることを感謝するのがお念仏だと思います。

法要と法話が終わるまで一時間少々かかっていました。

法話はそれほど長くはなかったのですが、蓮如上人の御文章を拝読して説かれていました。

毎朝こういう仏事が行われていることは尊いことだと感じました。

ご年配の方のお参りが多いので、畳の上にはイスが置かれていました。

ほとんどの方はおイスに坐ってお念仏されていました。

これも今の人たちのことを慮ってのお心遣いであります。

お念仏の声が耳にいつまでも残っていました。

朝本願寺にお参りしてその日はNHK京都文化センターの講演に臨んだのでした。

 
横田南嶺

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