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臨済宗大本山 円覚寺

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2025.10.13
今日の言葉

無事といったらどこまでも無事

先日の湯島の麟祥院では、いつものように『宗門武庫』について、小川隆先生のご講義がありました。

舜老夫、こと暁舜禅師の話でありました。

暁舜禅師は雲門下の禅僧であります。

雲門文偃禅師のお弟子に、徳山縁密禅師があり、徳山縁密禅師のお弟子に文殊応真禅師があり、そのお弟子に洞山暁聡禅師があり、その洞山暁聡禅師のお弟子が、暁舜禅師であります。

『禅学大辞典』には、

「北宋末の人。雲門宗。

筠陽(江西省)の人。

姓不詳。

洞山暁聡に参じて、その法を嗣ぐ。

筠州(江西省)の大愚山、廬山の棲賢寺、南康府(江西省)の雲居山に住した。

治平年間(一〇六四~一〇六七)示寂」とのみ書かれています。

かつて『宗門武庫』にも出てきた祖師であります。

当時の禅寺の住持は、時の権力者とも縁を結んでおくことが大事だったようです。

ところがこの暁舜禅師は、そのようなことにはあまり関心がなかったようで、時の知事から怨みをかってしまい、還俗させられたのでした。

その怨みというのが、その頃役人に賄賂を渡す習慣があったのに、暁舜禅師は、お寺の大事な財産をそのようなことに使うわけにはゆかないといって断ったためだったというのです。

この一事だけでも清廉なご人格であったことがうかがわれます。

人格者だったので、かつて暁舜禅師に参じたことのあった大覚禅師が、ご自身が住していた浄因寺にお招きして、住持たるご自身の部屋を譲って住まわせていたのでした。

時の仁宗皇帝が、この大覚禅師に師事して宮中に招いては道を問うていました。

仁宗の孫にあたる嘉王があるときに仁宗の使いで、浄因寺に行きました。

大覚禅師が恭しく暁舜禅師にお仕えしている様子をご覧になって、そのことを仁宗皇帝に伝えました。

仁宗は、自分が師事している大覚禅師がお仕えしている暁舜禅師というのがどのような方なのか確かめたくて宮中に招きました。

その人物をご覧になった仁宗は、勅命で暁舜禅師をお許しになって棲賢寺の住持に戻したという話があったのでした。

その暁舜禅師の話でありました。

この暁舜禅師のことを、翠厳可真禅師が「無事禅」だと罵ったのでした。

この「無事禅」について小川隆先生は、

「「無事禅」は、悟りの体験を求めず、ありのままの状態に自足する禅。貶義。「平常」「無事」は唐代禅ではあるべき姿として肯定的に説かれていたが、北宋期の禅門においてしだいに否定・克服の対象とされるようになっていった。」

と説明してくださっていました。

馬祖禅師はありのままがそのまま道であるとして平常心是れ道と説かれました。

平常であるのがよいという教えでした。

臨済禅師はその平常であることを「無事」と表現されました。

臨済禅師の説かれる「無事の人」というのは、外に向かって求める心がおさまった理想の人を言います。

それが後に批判されるようになるのです。

禅の歴史というのは絶えず先行の思想を批判して発展してきているのです。

吉州青原の惟信禅師にこんな話があります。

自分はまだ禅も何もわからなかった時には、世間並に、ただ「山は山、水は水」と見ていました。

それが修行をして悟ってみると、山は山でなく、水は水でないということになったと言います。

更に落著くところへ落著いた此の頃では、山を見るとやはり山であり、水を見るとやはり水だと説かれているのです。

一度山は山でない、水は水でないという否定を通してこないといけないということなのです。

先日の麟祥院では、暁舜禅師の偈が紹介されていました。

暁舜禅師が無事禅であることを、翠厳可真禅師が批判されました。

ありのままに安住してはだめだということでしょう。

しかし石霜法永禅師は、暁舜禅師は単にありままに安住しているのではなく、洞山暁聡禅師のもとで悟りを開いているのだと擁護したのでした。

山は山ではない世界を体得した上で、山は山だと説いているのです。

翠厳禅師が暁舜禅師を無事禅であると批判し、更に石霜禅師がそれをたしなめたといういきさつを聴いて暁舜禅師が偈を作られたのです。

その偈が

「雲居、禅を会せず 脚を洗い牀(とこ)に上りて眠る 

冬瓜は直くして儱侗(ろうとう)、瓠子は曲りて彎彎」

という詩であります。

「雲居」というのはその当時雲居山に住しておられたので、ご自身のことを指します。

最初の句は、「私は禅など分からない」という意味です。

脚を洗って床に上るというのは、靴を履いて暮らす習慣でしたので、一日の終わりに靴を脱いで床にあがったそうなのです。

日常のままの暮らしです。

小川先生は「冬瓜はまっすぐ、ゆうがおは弓なり」と訳されていました。

「瓠」というのは漢和辞典には「ひさご。草の名。

果実は長さ三〇センチほどあり、肉は白い。

煮たり、また、ほしたりしてかんぴょうとしても食べられる。

成熟したものは、中身をくり抜き、液体をすくう容器とする。

ヒョウタン。フクベ。」

と解説されています。

ユウガオ・ヒョウタン・トウガンなどの総称です。

これはありのままの無事を詠った詩であります。

またそのような批判を受けてもある日の上堂では次のような法語を残されています。

ここは小川先生の現代誤訳を引用させてもらいます。

「日が暮れれば、足袋(たび)をぬいで眠り、朝には起きて脚絆(きゃはん)を巻く。昨夜の風で垣根が倒されてしまったので、下僕たちを呼び集め、竹の皮を割いて紐をつくり、垣根を結わえ直すのだ」というのです。

これまた無事そのものであります。

無事といったらどこまでも無事であります。

人がなんと批判しようが、無事に徹したものは、無事である以外にはないのです。

この徹底したところが禅の醍醐味だと感じたのでした。

 
横田南嶺

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