托鉢に思う
なかなか、この頃は空いている日というのがほとんど無くて一日托鉢に出るのもめったになくなっています。
それでも早くから、なんとかお彼岸の一日は托鉢をしようと思って、一日何の予定も入れないように調整してきたのでした。
幸いによいお天気に恵まれて一日修行僧と共にわらじを履いて、網代傘をかぶって鎌倉の街を一軒一軒、四弘誓願を唱えて托鉢したのでした。
托鉢はなんといっても修行の一番の原点です。
托鉢を『広辞苑』で調べると、
①修行僧が、各戸で布施される米銭を鉄鉢で受けてまわること。乞食。行乞。
②禅寺で食事のとき、僧が鉢を持って僧堂に行くこと。
の二つの意味があります。
『無門関』の中に「徳山托鉢」という公案があります。
これは二番の意味の托鉢です。
徳山和尚が、まだお昼の支度ができあがったという合図の太鼓も鳴っていないのに、ご自身の鉢を持って食堂に赴いたという話です。
その時台所の係をしていた雪峰和尚に、まだ太鼓の合図も鳴っていないのに、鉢を持ってどうするのかと問われて、徳山和尚はただ黙ってお部屋に戻って行ったという話です。
鉢というのは食事の時の器で、今でも修行僧は自分の器を持っています。
今は五つ重ねの器を持っています。
食事が終わると、お湯で自分の器をすすいで、お湯を飲み干し、自分の布巾で器を拭いてまた包みにくるんでもっているのです。
便利なものです。
この二番目の意味の托鉢ではなく、一番目の托鉢です。
『広辞苑』に「各戸で布施される米銭を鉄鉢で受けてまわる」とありますように、それぞれのお家でお米やお金をいただくのです。
かつてはお米が中心でしたが、鎌倉ではほとんどお金にかわっています。
十二頭陀行というのが説かれますが、その中に、
常に乞食(こつじき)を行ずる、
乞食するのに家の貧富を差別選択せず順番に乞う、
という項目があります。
『禅学大辞典』には、托鉢について詳しく書かれています。
まず「音訳分衛」とあります。
京都の僧堂では、托鉢といわずに「分衛」と言っていました。
これは托鉢という意味のインドの言葉の音を写したものです。
それから
「行乞、乞食、捧鉢、持鉢と同義。
出家者が鉢を携えて、城市·村落等に食を乞うこと。
托鉢の風習はインドでは古く佛教以前から婆羅門教やその他の教団でも行われており、佛教でも当時の風習に従って比丘達が食物を得るには、原則的には托鉢によるとされた。
中国や日本では多く禅宗に伝えられたが、他の宗派でもこれを行うことがある。
また托鉢は鉢を手にささげもち(托)、民間に行って戸ごとに(軒鉢)、もしくは道を歩くのみで行乞するもの(連鉢)であるが、その時錫杖または鈴をもつて告知し、また誦経する。
またこの他に、粥飯(食事)の時に鉢を捧げて僧堂に赴くことも托鉢といわれた。しかし一般にはこの意味は余り使用されない。」
と解説されています。
ここに連鉢と軒鉢という言葉が出ています。
連鉢というのは、今でも京都の町で行われているものです。
私などが伝え聞いたところでは、京都では市内に七つの僧堂がありますので、各僧堂が一軒一軒お経をあげていては住民もたいへんだというので、道をただ「ほー」と大きな声をあげて歩くのみとなっているのです。
これはこれで良い修行になるものです。
鎌倉では一軒一軒の家の前で四弘誓願を読みます。
そうすると家の方が出て見えてお布施をいただくのです。
何軒もの家の前で四弘誓願を唱えるのであります。
『禅学大辞典』には、更に
「明治以後に僧侶の托鉢は一般には禁じられたが、古来の風習ある寺院とか、特别の慈善事業等のために、その筋の許可を受けて托鉢をなすことは、今日も行われている。」
と書かれています。
まさにこの通りで、鎌倉では長い伝統があるので、今も行われているのです。
この頃は鎌倉市外にまで出ると托鉢していても苦情が来たり、時には警察に通報されることもありますが、鎌倉ではまだ托鉢を暖かく受け入れてくださる家が多いのです。
まさに有り難いことであります。
その日は鎌倉山の信者さんのお宅でお経をあげてお昼をいただくことになっていましたので、鎌倉山まで行きました。
そんな高い山ではありませんが、急な坂を登ります。
帰りは円覚寺まで歩きましたので、五キロほどの道のりでありました。
帰りも梶原という小高い丘を登って降りてくるのです。
思い返すと、もうかれこれ四十年近く托鉢をしていることになります。
五十を超えてから、少し衰えを感じるようになっていました。
三十代の頃などは、まだ修行僧を追い抜くくらいの体力があったものです。
それが坂道になるとだんだんと修行僧達に遅れるようになってきました。
忘れもしませんが、あるとき、ようやく急な坂道を登ってみると、修行僧達が私を待ってくれていたのでした。
このときに愕然としたのでした。
五十を超えた頃だと思います。
これではいけないと思い、それから体の鍛練を行うように努力してきました。
修行道場に置いてもらっているからには、同じように托鉢できないと申し訳ないと思ったのでした。
それからこの頃は特に身体の研究をしていますので、歩き方、坂道や階段の登り方を研究しています。
足指、足首も鍛練しています。
そういうことを積み重ねているおかげで、先日の托鉢などは全く苦痛なく行って帰ってくることができました。
歩くにしても足をどう地面につけるか、衝撃をどう少なくするか、とても大事です。
アスファルトの上を草鞋履きで歩きますので、まず踵から着地しては衝撃が強く、膝や腰に負担がかかります。
そこで小指球あたりから足を地面につけて、足指に重心を乗せて歩くように工夫しています。
そうすると衝撃が少なくてすみます。
一軒一軒家の前で立ってお経をあげるのに腰に負担のかかる立ち方ですと、腰が張ってしまいます。
これは風船ワークなどを通じて腹圧をかける呼吸法を習ってきていますので、腹圧をかけて立ってお経をあげます。
そうしますと腰の負担がなくなるのです。
坂道や階段を登るときには、股関節を引き込むようにして仙骨や腰椎五番を前傾させるようにしてあがるとスイスイと登れます。
そんな工夫をしているおかげで、修行僧たちに遅れをとるようなことはなくなりました。
さまざまな身体技法を研究しているのは、毎日修行僧と共に修行できるようにするためであります。
それに今の修行僧たちよりも、私ははるかに長い年月を托鉢してきていますので、市内の道には詳しいものです。
裏道などを教えてあげることもできます。
そんな訳で修行道場に身を置いてもらっているからには托鉢もしなければと思って一日托鉢したのでした。
托鉢は顔が分からないように網代傘を目深にかぶって、お経をあげている時でも相手の顔を見たりしないようにしていますので、先方にも身元がばれることがありません。
有り難く修行させてもらったのでした。
横田南嶺