感動の出雲大社
円覚寺では午後から開山仏光国師のご命日の法要で、その前日にあたる宿忌という法要が行われます。
十月は諸行事が多いものです。
明日の十月三日が開山仏光国師のご命日の法要です。
午前十時から始まります。
円覚寺ではもっとも大切な法要であります。
私もこのときは、管長としての正装で儀式に臨みます。
十月四日から五日は、達磨大師のご命日の法要です。
四日の午後四時から、前日の法要である宿忌を務めます。
五日の午前十時から佛殿で行います。
午前十時からの法要には、だれでもご参加いただけます。
これも管長に就任した頃は早朝の五時半に誰もいない佛殿で和尚様だけで行っていました。
しかし、元来は半齋の法要というのはお昼に合わせて行うものです。
いつの頃からか早朝にすますようになっていたのだと思います。
それを皆様にもお参りいただけるようにと午前十時にしたのでした。
ただ達磨大師のご命日は十月五日というように日で決まっていて、何曜日であるかは関係ないのであります。
そこで平日に行われることが多いのです。
今年の十月五日は日曜日に当たります。
午前十時から佛殿で行われます。
円覚寺には、開山仏光国師が中国からお見えになった頃の独自のお経の読み方が伝わっています。
南宋の息吹を思わせる儀式であります。
法要は一時間ほど続くものです。
是非お参りいただければ幸いであります。
法要のあとは短いですがお話もさせてもらっています。
さて先月のお彼岸中に、谷中の全生庵での法話を終えてそのあと島根にむかいました。
島根県保険医協会第五〇回定時総会記念講演会で「死を見つめて生きる~仏教の死生観~」と題して講演をしてきたのでした。
今回は羽田空港から出雲空港まで飛行機のお世話になりました。
出雲に着いたのはもう夜でありました。
出雲に泊まったのは、なんといっても出雲大社にお参りする為であります。
一度は是非とも出雲大社にお参りしたいと思っていました。
島根にも何度か訪れたことがあるのですが、出雲大社にはお参りしていませんでした。
今回念願かなって出雲大社にお参りしました。
やはり早朝のお参りがいいだろうと思って朝六時の開門に合わせてお参りしました。
まず大鳥居の大きさに圧倒されました。
この入り口から察するにどれだけ大きなお社であろうかと想像しました。
大鳥居をくぐって中に入りますと、なんと下に方の降りてゆくではありませんか。
神社というと、山の方にむかって上に上がっていく印象があるのですが、出雲大社はまず下に下がってゆきます。
それがなんとも言えぬ聖地に誘われるような思いがします。
その参道の両側には松の木が植えられています。
樹齢はどれくらいなのだろうかと想像し難い大木がありました。
この参道の雰囲気だけでも素晴らしいものです。
気が澄んでいます。
かつてお伊勢さんにお参りした時も感動したものですが、それに匹敵するところです。
銅の鳥居をくぐって拝殿があります。
この拝殿も大きなものです。
更に楼門があって、本殿にお参りしました。
その森厳なる雰囲気、清浄なる気が充ちていてなんとも言えません。
もうなにも願うこともなく、ただただこの国に生まれてこうしてお参りさせていただいて有り難うございますという思いだけで拝礼しました。
普通神社では二礼、二拍手、一礼ですが、出雲大社では四拍手なのです。
どうしてなのかはよく分からなかったのですが、なにか出雲様は特別なのだろうと感じました。
ほかにもたくさんの社殿が並んでいます。
朝ですからまだ参拝の方も少なく、静かにお参りできました。
本殿の後方には、素鵞社(そがのやしろ)というお社がありました、
御祭神は素戔嗚尊(すさのおのみこと)です。
素戔嗚尊は天照大御神の弟神と言われています。
出雲国の肥河上での八岐の大蛇退治が知られています。
また大国主大神の親神であられ、国づくりの大任を授けられたと伝えられています。
出雲大社は大国主大神をお祀りしています。
大国主大神が国づくりによって築かれた国は、「豊葦原の瑞穂国」と呼ばれます。
あらゆるものが豊かに、力強く在る国です。
大神様は国づくりの後、築かれた国を私たち日本民族を遍く照らし治める天照大御神様へとお還しになりました。
天照大御神は国づくりの大業をおよろこびになり、その誠に感謝なさって、これから後、この世の目に見える世界の政治は自分の子孫があたることとし、大国主大神は目に見えない世界を司り、そこにはたらく「むすび」の御霊力によって人々の幸福を導くように願いました。
今も縁結びの神様として信仰されています。
出雲大社の霊気あれふれる神域に触れて、そのあと稲佐の浜に参りました。
八雲立つ出雲の国と言われますように、その日も私がお参りしている間は雨に降られなかったのですが、その後は雨が降ってきて、雲が立ちこめていました。
山々に雲がかかる様子は実に神秘的で、出雲の国を感じるものでした。
稲佐の浜は、日本神話において、天津神が国津神から葦原中国(あしはらのなかつくに)の国譲りを受ける国譲り(くにゆずり)の舞台となった場所であります。
これまた静かな海岸ですが、太古の神話の息吹を感じるところでありました。
こちらも朝から大勢の方がお見えになっていました。
そうして身も心も浄めて講演の会場に参りました。
松江城のすぐそばが会場でありました。
多くの方が集まってくれていました。
「死を見つめて生きる~仏教の死生観~」と題して八十分の講演をしました。
質問もいくつか受けて九十分を越えたのでありました。
皆さんとても熱心に聞いてくださいました。
なによりも朝出雲大社にお参りして気力も充実していたのでした。
地元の和尚様方のお姿も見えました。
円覚寺で修行して和尚になっているのが、出雲市に一人、松江市に一人いて、それぞれ挨拶に見えてくれました。
有り難いことでありました。
横田南嶺