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臨済宗大本山 円覚寺

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2025.10.01
今日の言葉

神無月

本日十月一日です。

十月は「かみなしづき」とか「かんなづき」とも言います。

『広辞苑』には、

「(神の月の意か。また、八百万の神々が、この月に出雲大社に集まり他の国にいないゆえと考えられて来た。

また、雷のない月の意とも、新穀により酒をかもす醸成月(かみなしづき)の意ともいわれる)」

と解説されています。

逆に出雲では「かみありづき」と言うそうであります。

九月のお彼岸には毎年谷中の全生庵様で法話をさせてもらっています。

二〇一四年からお参りしていますので、もう十年を越えています。

全生庵様に参ると、まず山岡鉄舟先生のお墓にお参りしています。

全生庵は山岡鉄舟居士が建てたお寺であります。

山岡鉄舟居士が徳川幕末・明治維新の際、国事に殉じた人々の菩提を弔うために明治十六年に建立されています。

鉄舟居士のお墓のすぐそばには、落語家の三遊亭円朝のお墓もあります。

学生の頃、よく全生庵で坐禅をさせてもらっていました。

毎月三島の龍沢寺の鈴木宗忠老師がお見えになっていて、その提唱を拝聴していました。

それから全生庵の先代住職の平井玄恭和尚様のお話もよく聞かせてもらっていました。

今回控え室に入ると、床の間に、玄恭和尚の書が掛けられていました。

「月、潭底を穿って水に痕無し」という語が書かれていました。

秋の頃にふさわしい言葉です。

法話のはじめは、いつものように

生まれた事の不思議、今日まで生きてこられたことの不思議、そして今日ここでお互いにめぐりあえた不思議に手を合わせています。

毎回心を込めて手を合わせてこの感謝をいたしますと、景色が変わるように感じます。

そして有り難いということは何かをいただいたとか、特別なことがあったというだけでなく、何事もないことも有り難いとお話しました。

無事全生庵に来られて、何事もなく時間通りに法話を始められることがありがたいのです。

そしてこのお寺では山本玄峰老師、中川宋淵老師、鈴木宗忠老師、それから紀野一義先生や鎌田茂雄先生など錚々たる老師や和尚様、諸先生方がお話をなさってきているお寺であることを申し上げて、私などが話をさせてもらうのは恐縮ですと伝えました。

そこから皆さんもいろんな方のお話を聞かれて心の残っていると思いますと申し上げました。

どなたのお話が一番印象に残っているでしょうか、それぞれあると思います。

そこから私はNHKのテレビやラジオで宗教の番組を五十年以上にわたり担当した金光寿郎さんの話をしました。

半世紀以上にわって出会ったきた宗教家は大勢いらっしゃると思います、

その中で最も印象に残っている人は誰ですかと聞いた事があります。

金光さんは「鈴木大拙です」と即答されました。

大拙先生は鎌倉の円覚寺で熱心に坐禅されていた方です。

晩年には浄土真宗との縁も深められ、大谷大学で教鞭をとり、親鸞聖人の書物の英訳も手掛けていました。

大拙先生の秘書であった岡村美穂子さんが、大拙先生に「阿弥陀様の本願というのがどうしても分からない」と訴えました。

大拙先生はその時お鬚を剃っていて即答できず、しばらくして岡村さんが台所で朝餉の支度をしていると、

奥の部屋から「美穂子さん」と呼ぶ声がします。

岡村さんが駆けつけると、大拙先生は窓の外を指さしました。

そして一言「本願が上ってきた」と。

窓の外を見ると朝日が上って来ていたそうです。

こういう答えは、誰しもができるものではありません。

金光さんはこの話をなされて大拙先生はやはり違いましたと仰っていました。

その次に、では二番目はどなたですかとうかがうと、金光さんは、竹部勝之進さんの名を挙げられました。

竹部勝之進という方は、私もその時初めて耳にしたのでした。

竹部勝之進さんは、明治三十八年に福井県にお生まれになって、行商をしながら生計を立てて、お念仏の教えを学び、独自の詩をお作りになった方です。

昭和六十年に八十才でお亡くなりになっています。

金光さんは、竹部さんの詩を教えてくださいました。

 タスカッタヒト

タスカッテミレバ

タスカルコトモイラナカッタ

短い言葉ですが、深い教えがあります。

そして竹部さんの詩をもうひとつ紹介しました。

「ヒカリ」という詩です。

 ヒカリ
コドモガカクレンボウヲスルガ
ミヲカクスコトハデキナイノダ
木ノカゲニカクレテモ
森トトモニアルノダ
天地トトモニアルノダ

どんなにかくれんぼをして、隠れたと思っても、隠れた子を探しまわっても、森の中なのです。

という詩であります。

この詩はかくれんぼのことを詠っていますが、題は「ヒカリ」です。

阿弥陀様の慈悲のヒカリの中にあることを詠っています。

そこから禅では仏心の光の中にあることを話しました。

円覚寺の朝比奈宗源老師は、ご縁のある方がお亡くなりになると、色紙に、

「倶に遊ぶ、仏心光明の中」

と書いてお供えになっていました。

先代の足立大進老師もその言葉を書かれていました。

私も書かせてもらっています。

朝比奈老師は、

「私たちは仏心という広い心の海に浮かぶ泡の如き存在である。生まれたからといって仏心の大海は増えず、死んだからといって、仏心の大海は減らず。私どもは皆仏心の一滴である。一滴の水を離れて大海はなく、幻の如きはかない命がそのまま永劫不滅の仏心の大生命である。

人は仏心の中に生まれ、仏心の中に生き、仏心の中に息を引き取る。生まれる前も仏心、生きている間も仏心、死んでからも仏心、仏心とは一秒時も離れていない」
と説かれています。

皆仏心の中にいます。

亡くなった方も倶にいるのです、そんな気持ちでお彼岸のご供養をしていただけたらと思いますとお話したのでした。

そのあと羽田空港から島根にむかいました。

次の日は松江市で、島根県保険医協会第五〇回定時総会記念講演会で「死を見つめて生きる~仏教の死生観~」と題して講演させてもらうことになっていたのでした。

 
横田南嶺

神無月

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