第一回寝る禅
まさに初めての試みであります。
毎月第二日曜日のあとは布薩の会を行っています。
九月の布薩の会は、三者三様の法話会の日の午前中に行いましたので、今月は第二日曜日の午後に寝る禅を行ってみたのでした。
その日は、朝から横須賀線東海道線が止まってたいへんなことになりました。
どう対応するかギリギリまで判断を迫られました。
そして日曜説教を終えて別のお寺で更に法話をしてと少々疲れたものです。
更にその日は九月なのですが、日中は真夏のような日差しになっていました。
十一時の法話は汗をびっしょりかいたのでした。
しかしながら寝る禅はとても有り難いもので、そんな午前中の疲れが全部抜け落ちてしまいました。
私自身が寝る禅の効果を全身で感じることができました。
寝る禅に参加してくれたホトカミの吉田亮さんが早速noteに感想を投稿してくれていました。
またその日に私が話をしたことをよくまとめてくれていました。
一部をそのまま引用させてもらいます。
「まずは寝る禅についての説明です。
行住坐臥(ぎょうじゅうざが)という言葉があります。
禅は、坐る坐禅だけではありません。
行ー歩くー歩行禅
住ー立つー立禅
坐ー坐るー坐禅
臥ー臥すー【寝る禅】 になります。
寝る禅の良いところは大きく3つあります。
①緊張をとる
寝ることで全身の力を抜くことができます。
そのため、緊張をとることができます。
②骨盤の矯正
腰を立てるためにも、骨盤はとても大切です。
座った状態だと、どうしてもなにかしら力が入ります。
寝る禅では、畳の上で全身の力を抜きながらも、たたみの程よい弾力によって、骨盤が自然な状態に矯正されます。
③呼吸
これは特に、白隠禅師が「内観の法」として、オススメされている寝る禅での呼吸法があります。
両足を伸ばして、足首は直角に曲げた状態で、
お腹を膨らませて息を吸い、お腹を膨らませたまま、息を吐きます。
このとき、両足裏の向こう側に壁があると思って、ぎゅーっと壁を押すつもりで力を入れながら息を吐きます。
この呼吸を繰り返すことで、上虚下実(じょうきょかじつ)、上半身の力が抜けて、下半身の力がみなぎります。
寝る禅の説明のあと、1時間近く、全身をほぐすストレッチをして、呼吸法を行いました。
そして最後に、全身の力を抜いたまま、ただ畳に身を委ねました。
ほぐれた身体が畳と一体となりました。」
というように、とてもよくまとめてくれているので感心しました。
まさにこの通りなのです。
行住坐臥の総ての禅であります。
『天台小止観』には行住坐臥の止観が説かれています。
歩く禅も、立ってままの立禅も、それから坐る禅もあるのですから、寝る禅があっても不思議はないのです。
かつて昭和の時代に荒井荒雄先生という方が仰臥禅といって本を出されていました。
私の手元にも『仰臥禅 白隠禅師内観の秘法による心身改造』(明玄書房)や、『仰臥禅』(大陸書房)そして『仰臥禅のすすめ 寝ころんでできる禅とは』(ダルマブックス)という三冊の本があります。
これらも参考にしましたが、一番もとになるのはやはり白隠禅師の『夜船閑話』であります。
『夜船閑話』には次のように書かれています。
春秋社から出ている『夜船閑話』にある伊豆山格堂先生の現代語訳を引用します。
「若し此の秘訣を実践しようと思うなら、しばらく公案(禅問題)工夫の修行をやめ、先ず熟睡してから目をさますのだ。
まだ眠りにつかず目を閉じない時に、長く両足をのばし、強く踏みそろえ、全身に籠もる天地根元の気をへそ下の下腹部、腰と足、足のうら土踏まずに充たしめ、いつも次のように観念するといい。
わがこの気海丹田(へそ下の下腹部)腰、脚、足心(土踏まず)そのまますベて是れ我が本来の面目(本心·本性)である。
その面目(顏つき·樣子)はいかなる様子をしているか?
我が此の気海丹田は、そのまますベて「唯心の浄土」(净土は我が心)である。
その浄土にはいかなる荘厳があるか。
我がこの気海丹田はそのまますべて「己身の弥陀」(弥陀はおのれ)である。
その弥陀はいかなる法を說くか?
繰り返し繰り返し常にこのように観念すべきである。
観念の功果がつもると、一身の「元気」がいつの間にか腰、脚、土踏まずの間に充ち足りて、臍下丹田・下腹部がひょうたんのように張って力があること、あたかも蹴鞠に使う皮製の鞠をまだ篠打ちしない時のようであろう。
このようにひとえに観念し続け、五日七日乃至二週間三週間を経過しても、今迄の五臟六腑の「気」の滞り、神経衰弱や肺病等の病気が徹底的に治らなかったら、この白隠の首を切り取ってもよろしい。」
と説かれています。
これを具体的にどう実習するか、何度も何度も試行錯誤を繰り返しておこなってみたのでした。
まず始める前に、橫になって寝てしまったら寝ていいですと申し上げました。
寝ないように頑張ろうという修行ではありません。
寝てしまうということは身体が眠りを必要としているのです。
白隠禅師もまず「熟睡一覚」すべしと説かれています。
寝てしまってもまた目が覚めたらおこなえばいいのです。
はじめはタオルを使って少し体操をしてから橫になりました。
首や肩をほぐしてゆきました。
それからテニスボールを使って背骨の両側をほぐしました。
肩甲骨と背骨の間にもテニスボールを入れてほぐしました。
それから仙骨から大転子にかけてもテニスボールでほぐしました。
そのあとお腹もテニスボールを使ってマッサージをしました。
お腹をゆるめておくと、腹式呼吸がしやすくなります。
そうしてから呼吸法に入りました。
お腹の上に小さくたたんでタオルを置いて、タオルを天井の方に持ち上げるようにしてお腹を膨らまして息を吸い込みます。
吐きながらお腹を凹ませてタオルが下に下げます。
この呼吸を繰り返しました。
そして更に、お腹を膨らませて、膨らませたままを保って、息を吐き出すようにしました。
それに今度は足に力を入れて、足の向こうに壁があると思って、その壁を押してゆくようにして、息を吐き出すようにします。
そのときにお腹は膨らませた状態を保っておこないます。
これらを行ったあとは、なにもせずにただ橫になります。
何の呼吸法をしなくても無意識で呼吸が行われてきます。
その無意識の呼吸を味わいながら、全身を畳に預けてしまいます。
身体と外の世界との境界がなくなってゆきます。
終わった後に寝ているのか、起きているのか分からなくなったという感想をいただきました。
まさにその混沌とした状態がいいのです。
分別をはたらかせないのです。
はたらかなくなるのです。
そんな状態を味わってから、ゆっくりとまず手の平を開いたり握ったりして感覚を取り戻してゆきます。
起き上がるのにも時間をかけます。
そうして立ち上がるとしっかりと床を踏みしめて立つことができます。
どっしりとして、それでいて上体の力が抜けていて、安定感があります。
上虚下実が体感できます。
この身体の安定感は心の上でも安心を作ります。
身体の感じが全く違って、こんなにどっしりと感じるとは思わなかったと感想を述べてくれた方もいらっしゃいました。
全員の感想を聞いたわけではありませんが、まず自分自身がよく調ったので、有り難いことでした。
頭も身体も空っぽになる寝る禅であります。
横田南嶺