さまざまな質問
鼎談というよりも、参加者の皆さんからのご質問にお答えしたのでした。
これが実にたくさんの質問がございました。
まずそれぞれがそれぞれの法話を聞いての感想を語りました。
私はまず、話というのは、話が伸びて予定時間より超過して、嫌がられる人と喜ばれる人があり、小池さんにしても細川さんにしても間違いなく後者だと申し上げました。
お二方ともほんの数分予定時間より伸びたのですが、伸びるほど喜ばれるものでした。
細川さんの法話を拝聴してしみじみ思いましたのは、松原泰道先生の御孫さんですので、幼少の頃からずっとおそばで接してこられたという体験が他の人にはないものだということです。
私も中学生の頃に松原先生にお目にかかってお亡くなりになるまでご縁をいただきましたが、あれこれと思い出しながら聞いていました。
きっと松原先生も、今や細川晋輔さんとしてご立派になられて喜んでおられると思いますと申し上げました。
それから小池さんが糞掃衣を着るたびに福島和上に会えると仰ったのが印象に残りましたとお伝えしました。
小池さんは、今年愛媛県の坂村真民記念館に行かれたことを語ってくれました。
私が円覚寺で長年書いてきた掲示板の詩の特別展が行われていたのでした。
そこに真民先生の流布帳というのが展示されていて、私がまだ高校生の頃に、一遍上人語録を送ってもらったという記録が残っているのです。
私がまだ出家する前の名前で残っています。
そしてそれは真民先生が贈呈されたものの記録だったのです。
真民先生の三女である西澤真美子さんが、小池さんに、おそらく真民先生は、高校生の青年を大事に思って贈呈されたのでしょうと語ってくれたということでした。
質疑応答ではまず一番に尊敬する人は誰ですかというのがありました。
小池さんは父親を挙げられていました。
ご自身が迷った時に、いろんなアドバイスをくれることが多かったそうなのです。
私はと聞かれて困りました。
いろんな方がございます。
お坊さんですと松原泰道先生がそうですし、師匠の小池心叟老師、先代管長の足立大進老師、いろいろございます。
ご存命中ですと堀澤祖門様などがいらっしゃいます。
これと絞りきれるものではありません。
その時であった方を尊敬するようにしていますと申し上げました。
次にお坊さんになってよかったこと、こまったことは何ですかと問われました。
私は即答しました。
よかったことは散髪屋に行かなくていいこと、困ったことはお店にはいりにくいことと言って皆さんに笑ってもらいました。
小池さんは、お坊さんになったおかげでいろんな素晴らし方にめぐり合えたことをあげられていました。
困ったこととして、夏の炎天下外に出ると頭皮が日焼けしてしまうことだといって、これまた多くの方がお笑いになっていました。
それから次に、インドの仏跡巡拝で、どこに行ったのが一番印象に残っていますかという質問でした。
私はやはりなんといってもブッダガヤの大塔をお参りしたことを申し上げました。
お釈迦様がお悟りを開かれた処です。
そこでひととき坐禅をさせてもらったことは生涯の思い出であります。
小池さんもブッダガヤをあげられていました。
それと迦葉尊者にゆかりのある尊足山をあげられていました。
尊足山は、鶏足山とも呼ばれます。
迦葉尊者が入定されたところです。
千数百段の階段を登るそうです。
体重の重い方がいらっしゃって、たいへんだろうと思っていたそうですが、多くの子供たちに助けられて登れたという話をしてくれていました。
次の質問が「生きるとは食べて出して、夜に寝るだけだ」という話をお坊さんが言ってるよと小学六年生の息子に話したら、息子が「それでは宿題はやらない」と反論して困ったというのでした。
どう説明したらよいかという質問でした。
私は、長い目で見れば宿題をやっても、やらなくても大した違いではないとは思いますが、今はやったほうがいいと申し上げました。
ただあんまり宿題をやれやれと言っても反発されるので、ひょっとしたらやらなくてもいいと言われた方がやろうという気になるかもしれないなど話をしました。
禅の修行道場では本を読んではいけない、文字を見てはいけないと言われます。
そうするとなんとか隙をみつけては本を読もうとするのです。
次に、「私は怒りやすくイライラしやすいのですが。いつも穏やかでいるためにはどうしたらいいでしょうか」という質問でした。
小池さんは「一切皆苦を口ずさんでください」と仰っていました。
一切皆苦、すべては思うようにはいかないのだと意味です。
そう思えばイライラしなくなるということです。
私は、まず笑顔を作ってみましょうと申し上げました。
いろんなことがあっても今日一日は笑顔でいようと思うのです。
先にこの笑顔を作ってみると、少しイライラする心も落ち着くようになります。
鏡でも見てまず笑顔を作ってみることをお勧めしておきました。
次にはカウンセラーの仕事をしている方からの質問でした。
若い方たちとお話しする機会が多いそうなのですが、「死にたい」「死ねば楽になる」という言葉を多く聞かされるそうです。
このような人たちにはどう言葉をかけてあげたらよいと思われますかという質問です。
これは難しい質問です。
小池さんは「これは言葉をかけなくていいんじゃないでしょうか」と仰いました。
「もうその場にいて、坪崎美佐緒さんや清水信子さんのように、ただそこにいて、その苦しみを一緒に感じながら、そこにいるということが大事なのだ」と教えてくださっていました。
そして「人は変えようとしても変わらない。理解されたときに自分で変わっていく」ということを伝えてくれていました。
それから私に聞かれましたので、私は「今、小池さんの言われたように、こういう時に言葉をかけるのは難しいです。
私でしたら、まず甘酒を作ります」と、申し上げました。
その日も小池さんが前の日から新幹線で来られてお疲れだと思ったので、糀で発酵させて甘酒をつくって召し上がってもらいました。
言葉よりも身体に語りかけることを伝えました。
そして何か語り始めてくれるのを待ちます。
それから当日答えられなかった質問に、お寺で鐘を撞く意味について聞かれたものもありました。
朝比奈宗源老師の和歌に
人は皆仏なるぞと告げわたる
この鐘の声 釈迦牟尼の声
というのがあります。
鐘のおとはお釈迦様のお声そのものだというのです。
みんなあなたも仏なのですと教えてくれているお声だというのです。
その鐘の音を聞いただけで、イライラする心も静まります。
心が落ち着くのです。
鐘を撞く時には鐘をお釈迦様だと思って、そのお説法をお願いする気持ちで撞きます。
そして鐘の音がこの世界の隅々まで響き渡って、鐘の音を聞く人は、心が清らかになって悟りに近づくことができるのです。
素晴らしい功徳があるものです。
ほかにもいろんな質問がありましたが楽しくお答えするうちに時間となってしまいました。
横田南嶺