三者三様法話会
その日の午前中に布薩の会を行い、その午後一時半から四時半まで三時間の催しであります。
世田谷区野沢龍雲寺の細川晋輔さんと、神戸市須磨寺の小池陽人さんと私の三人の法話会であります。
おかげさまで百五十名、大勢の皆さんにお越しいただきました。
三者三様法話会は、これで四回目となります。
第一回が三年前に円覚寺で開催しました。
その次の年に須磨寺で行い、昨年は龍雲寺で行いました。
どういう順番で行うのかは、開催するお寺が決めるようにしています。
今回は円覚寺で開催でしたので、私が決めさせてもらいました。
そこで私は一番目を担当し二番目は細川さん、トリは小池さんにつとめてもらうようにしました。
一番はじめというのはやはり気楽であります。
最後というのは難しいものです。
須磨寺で行いました時にも最後を務めましたが、複数の話を用意しておいて、小池さんや細川さんのお話によって決めるようにしました。
その点は、はじめは自由に好きなようにお話ができます。
特にはじめの法話ということで気をつけたのは、あまり重たい話にはしないようにしたことです。
三十分づつの法話とはいえ、お聞き下さる方はずっとイスに坐って聞くのでたいへんであります。
すべて重く深い話だと気が疲れてしまいます。
なるだけ明るく楽しく笑っていただくように心がけたのでした。
その日はいつも鎌倉エフエムのラジオでお世話になっている元NHKエグゼクティブアナウンサーの村上信夫さんもお越し下さっていました。
村上さんが大きなお声で朗らかに笑ってくださるので、場の空気も明るくなってとても話しやすくなりました。
この日の法話会の為に演台を設けてくれたのですが、それが少し高くて、その上で立って話すと皆さんを見下ろすようになるので、座布団を敷いて坐って話をすることになりました。
なかなか正座して話をする機会というのは少ないのですが、お寺ならではのことであります。
三十分のうち、はじめの十分ほどは場を暖めるための軽い話をしていました。
それから最近の話がいいだろうと思ってはじめ塾の夏合宿の話にしました。
そこで子供たちとかくれんぼをしたことを話しました。
なかなか子供たちが隠れるのが見事で、探すのに苦労をしたのでした。
かくれんぼをするなど、もう何十年ぶりでしょうか。
かくれんぼの話から始めて、予定通り三十分ピタリで終えることができました。
二番目は細川晋輔さんの法話でした。
ゆったりとした口調でしっかりと大事な教えを伝えてくださいました。
ご自身に安定感あるので、拝聴していても自ずと心安らぐものです。
細川さんはNHKの大河ドラマで仏事指導をなさっていて、今放送されている「べらぼう」にもご出演なさっているというお話をなさっていました。
それからNHK「連続テレビ小説」もよくご覧になっているそうで、アンパンマンのお話もなさっていました。
そのどちらも私は拝見していませんので、よく分からないのですが多くの方が頷きながら聞きいってくれていました。
『あんぱん』は、『アンパンマン』の作者であるやなせたかしさんと、その妻の暢(のぶ)さんをモデルにしたドラマだそうです。
そのドラマで、「何のために生まれて、何をして生きるか」という言葉があるそうです。
その言葉を紹介して生きるとは何かと話を進められました。
以前龍雲寺のYouTube「喫茶去」で細川さんと小池さんと私とて生きるとは何かを話したことがありました。
その話を紹介してくれていました。
私は「お腹が減ったら食べ、疲れたら眠る」ことだと申し上げたのでした。
これは禅でよく説かれることです。
ごく当たり前の営みこそが、生きる本質です。
また、それからAIの研究者の方から聞いたことだといって、生きるということは新しい世界が広がることだというのを紹介されました。
それから小池さんが「生きることは自分との対話である」と言われたという話でした。
そして細川さんは何のために生まれて、何をしていけばよいかということを考えてきて、宗教とは何かについて考えたとお話になっていました、
禅の特徴として「宗教っぽくない」とよく言われると仰っていました。
特定の神や仏という絶対者に対する信仰を宗教とすれば、禅はむしろそのような存在を否定しますので、宗教のようではないと思われることもあります。
宗教は本来「死を直視すること」を出発点とするはずですが、現代ではしばしば寄付や組織維持が前面に出てしまっていることに懸念を示されていました。
しかし、禅や仏教の教えは、人を束縛するものではありません。
むしろ生と死の本質に気づかせてくれる「自由」なものだと細川さんは語ってくれていました。
そしてスティーブ・ジョブズの言葉を紹介してくれていました。
スティーブジョブズが、命が発明した一番のものは一体何かという問いを示されました。
細川さんは「皆さん考えてみてください」と呼びかけられました。
「命が発明した一番のものは実は死だ」というのです。
死というものがあるから、新しいものが生まれてくるのです。
古きものが退いていくのです。
死という問題の前では、今私たちが抱いている悩みも苦しみもストレスも不安もすべて取るに足らないことであると細川さんはお示しくださいました。
そしてよく知られている「もし今日が人生最後の日だとしたら、今日これからやろうとしていることは本当に自分のやりたいことだろうか?」という言葉を紹介されました。
細川さんの祖父である松原泰道先生の晩年の教えも示してくれていました。
毎朝目が覚めた時に、まず目が覚めたことに涙が出るぐらい感動しておられたそうです。
そして今日も一日仏教の勉強ができる、今日も一日、人様に仏様の教えを説くことができると、今日一日生きられることを心から感謝していたという話は胸打つものであります。
松原先生の「生きる意味とは何なのか?
答えは実に簡単です。
すべては他(ひと)のため、
自分のためではありません。
人の役に立つことを目的に生まれてきたのです。
自信を持ってください。
あなたはきっと誰かの役に立ちます。」という言葉を紹介されて、これはアンパンマンが自分の顔を分け与える姿にも通じるとお話くださっていました。
大切なものは失って初めて気づくと言いますが、しかし「失う前に気づく」のが禅の教えだと説かれていました。
私の「二度とない人生だから、今日一日は笑顔でいよう」という言葉を引用してくださり、この言葉のように、私たちは限りある命だからこそ、微笑みと優しい言葉をもって生きるのですと力強くお話くださいました。
たくさんのメモを取りながら有り難く拝聴することができました。
横田南嶺