小池陽人さん来たる
もうこれで四回目であります。
三年前の十二月に、龍雲寺の細川晋輔さんと須磨寺の小池陽人さんと私の三人で法話会をしようという話になって開催したのでした。
その次の年には、須磨寺で三人の法話会を開催し、昨年は龍雲寺で法話会を行ったのでした。
三人それぞれの寺で一巡したので、どうしようかと相談したのでした。
多くの皆さんが喜んでおられるというので、四回目を円覚寺で開催しました。
百五十人の席を用意しましたが、おかげさまで満席でありました。
その日の午後から三人の法話会の予定をしていたのですが、その日の午前中に一般の方向けの布薩の会も行いました。
これはどうしてかというと、かつて小池さんが一度円覚寺で開催している一般の方向けの布薩の会を学んでみたいとおっしゃっていたのを思い出したのでした。
それで小池陽人さんがとてもお忙しい中を法話会にお越しいただくのですから、その午前中に布薩を行えば、体験いただけると考えたからでありました。
思えば小池さんとのご縁は、かれこれ五年前になります。
細川晋輔さんのご紹介でお目にかかったのでした。
まだコロナ禍で最中であり、円覚寺のYouTubeチャンネルも開催して間もない時で、YouTube対談に出てもらったのでした。
それがご縁となって、須磨寺にもお邪魔して小池さんのYouTubeにも出させてもらったのでした。
これらは今でも聞くことができます。
今思うとコロナ禍というのは、いろいろたいへんなこともたくさんあったのですが、新たなご縁もたくさんいただくことができました。
小池さんのお偉いと思うのは、私のようにコロナ禍でYouTubeを始めたのではなく、その前からすでにおはじめになっていたことであります。
私も直接お目にかかる前から小池さんのYouTubeで勉強させてもらっていました。
お若いのによく勉強されていますし、そしてなんといっても仏法に対するとても真摯なお姿に心打たれるのであります。
この方は真剣に仏教を学び、仏道を実践しようとされていると感じていました。
それで今日までご縁をいただいています。
小池さんは一九八六年のお生まれですから、私よりは二十二歳お若いのです。
布薩についても数年前に修行僧たちと体験してもらってからは、須磨寺でも小池さんが毎月、満月と新月の朝に行っていらっしゃるのです。
このひとつのことだけでも出来るものではありません。
そして今回更に一般の方向けの布薩も学ぼうとされるのですから頭が下がります。
そこで午前九時半から一般の方向けの布薩と、午後一時半から三者三様の法話会を開催したのでした。
それには神戸からですと前日にお越しいただく必要があります。
そのように予定していながらも思わぬことがあるもので、その前日は台風十五号が来てしまいました。
新幹線が止まってしまい、運行がされるようになっても何時間も遅れが出ていました。
前の日に神戸から鎌倉に来るのは無理かなと思ったのでした。
私ももう無理せずに、法話会に間にあうように当日出てもらえばいいと思って連絡してもらったのですが、すでに新神戸を出られたと聞きました。
だいじょうぶだろうかとハラハラしていましたが、無事に新横浜に着かれたと聞いてホッとしました。
どうにか座席にも座ることができ、それほどの遅れもなく来られたと聞いて安堵しました。
当時は午前八時頃にお越しくださいました。
その日は午前中に布薩を行い、午後から法話会と一日小池さんとご一緒させていただくことができました。
一般の方の布薩の会は、毎月第二日曜日の日曜説教のあとに行っています。
今回は土曜日の午前中となったので、いつもの方とは違う新しい方も大勢いらっしゃいました。
小池さんのご縁の方もいらっしゃったのかもしれません。
控え室であれこれと雑談しながら準備なども済ませて布薩に臨みました。
小池さんは布薩を行うにあたって法衣でお見えくださいました。
私のところの布薩では体操をするので、まず作務衣に着替えていただきました。
真言宗ではきちっと礼儀作法を大事にされていますので、作務衣での布薩などというと違和感を覚えられたかもしれません。
これは私の考えであって、礼拝をなんども繰り返しますので、身体をほぐして行った方がよいと思っているのです。
初めての方も多いということから、布薩の言葉の意味からお話しました。
そして礼をする身体の動きを実習しました。
頭をさげてお辞儀しましょうというと、首を下に曲げ背中を丸めてしまいます。
これは腰によくないのです。
それで股関節に手を当てて股関節を引き込むようにしてお尻を後ろにつきだすように礼をしてもらいます。
これを呼吸に合わせます。
息を吐きながら股関節を引き込んでお尻を後ろに出します。
息を吸いながら身体をもとに戻します。
それから坐って五体投地をします。
それには立ったり坐ったりを繰り返しますので、坐って足首を回し足の指を回したり身体を調える体操をしました。
そして肩をほぐしてから五体投地をするようにしました。
皆で般若心経をお唱えして、仏さまの名前を唱えながら九回の礼拝をしました。
それから懺悔文を三回唱えてそれぞれ礼拝します。
更に三帰依を三回唱えて合計九回の礼拝をします。
そして三聚浄戒、十善戒を読んで三拝、四弘誓願を読んで三拝しました。
合計二十七回の礼拝となります。
呼吸に合わせてゆっくり丁寧に行いました。
これで身体も心も調ってゆくのです。
終わったあと、小池さんに感想を伺うと、まずこんなに丁寧に礼拝をしたのは初めてですとおっしゃってくれていました。
それから小池さんはよどむことなく流暢に戒についてお話くだいました。
布薩の意義についても親切にお話くださいました、
法話となっていたのです。
これにはそばで拝聴していて感動しました。
即興でこれだけのお話ができるとはさすがだと感じいりました。
破戒は無戒に勝るという話でした。
戒をおとなえして礼拝しても、私たちは決して戒を守ることはできません。
不殺生ひとつにしても、毎日の食べ物でも生き物の命をいただいています。
知らずに虫を踏んだりすることもあります。
布薩をして不殺生の戒を唱えていると、申し訳ないという気持ちになります。
ところが無戒という、戒を意識しない暮らしだと生き物の命をあやめてもなんとも思わないようになります。
知っておかす罪と知らずして犯す罪では、知らずして犯す罪の方が重いというお釈迦様と阿難尊者の問答をご紹介してくださいました。
お釈迦様は焼けた火箸を出して、阿難尊者に問われました。
火箸が焼けていることを知っていて、なおつかんだ人と、火箸が焼けていることを知らずに素手でつかんだ人とではどちらのやけどがひどいと思うかというのです。
知らずにつかんだ方のやけどがひどいでしょう。
それで知らずして犯す罪が重いという譬えなのです。
悪いことだと知っていれば、抑止力やためらいが生まれます。
戒を学んでいるとまず私たちに反省の心が生まれるのです。
その反省の心が私たちの心をよい方向へと導いてくれるのです。
そんなお話を集まった皆さんの為にしてくださいました。
その日の布薩には、小池さんが本堂に入ってきただけで、皆さんにどよめきが生じました。
小池さんがお見えになるだけで、場が明るくなるのです。
まさにお名前の通り太陽のような方です。
布薩を終えて、お昼を一緒にいただいて午後からの法話に臨んだのでした。
横田南嶺