仏心の世界
その前の日と翌日と二日間にわたって法要をお勤めします。
前日の法要を宿忌と申します。
一般には逮夜とも申します。
逮夜の「逮」は及ぶという意味で、翌日に及ぶ夜ということです。
忌日の前夜を言います。
二十四日の夕刻に、修行道場ではお茶とお湯をお供えしてお経をあげます。
これは昔のお坊さんの戒律では、午後から食事をしながった名残であります。
ただ禅宗では畑を耕したり、薪を割ったり労働をするようになったので、夕方にも「薬石」と称して軽い食事をいただくようになりました。
そこで宿忌にもおうどんをお供えすることもあります。
二十五日は早朝にお粥をお供えしてお経をあげます。
これは献粥諷経といいます。
お粥は、炊いた小豆をいれて豆粥(ずしゅく)にします。
それにピリコンといって、こんにゃくを炒めて醤油で味付けたものと、梅干しを添えるのです。
そしてお昼に半齋といって正規の法要を行います。
この時にはご飯におつゆにおかずをお供えします。
それにお茶とお湯と、お菓子を添えるのです。
ひとつひとつお供えするたびにお香を焚いて導師は礼拝を繰り返します。
私が修行僧だった頃には、まだ朝比奈老師に参禅された和尚さんも大勢いらっしゃいました。
その和尚さん達がお参りに見えて、お経をあげられ、うどんを振る舞うことになっていました。
うどんにはかき揚げと青菜のお浸しを添えていました。
八月二十五日というと暑い日であり、また天ぷらを四十人から五十人分くらい揚げるのでたいへんだった思い出があります。
修行道場ではガスを使わないので、薪だと天ぷらの火加減が難しく大変でありました。
汗を拭きながら、何十人もの天ぷらを揚げていたことを思い出すのであります。
今や朝比奈老師に参禅された和尚も少なく、八月二十五日の法要は修行道場で修行僧のみでお勤めしています。
さて例年ご命日が近づくと朝比奈老師の本を読み返したりします。
『獅子吼』という、朝比奈老師の三回忌に合わせて出版された本があります。
その中にこんな話がありました。
三人の子供を授かったご夫人の話です。
長男は戦死、次男は健在なのですが、三男が若い時は病身で、結婚もしたけれどもうまくゆかずに、四十二歲で亡くなったというのです。
そこでご夫人は、若くして亡くなった我が子に対して、もっとああしてやればよかったのではないか、こうしてやったらよかったのにと、我が子に対して、自分の行き届かなかった罪を、どうやって詫びたらいいのかと悩み続けているというのです。
我が子に対する罪の意識であります。
愛情の深い故でもあります。
それに対して朝比奈老師は、
「こうした悩は、人間に生と死のある限り、ひとり親と子の間ばかりでなく、夫婦·友人·愛人·師弟の間でも、到るところに見出されることであります。」
と説かれています。
そして朝比奈老師はそのご夫人へ言われたことを次のように書かれています。
「あなたのお気持ちはよく分ります、
あなたのように全身全霊をもってお子さんを愛し育てた結果が、そうした不幸なことになれば、あなたの過去の一切の努力がムダであり、あるいは良かれと思ってしたことが全部反対に悪であったのではなかろうかと思えることも、無理ではありません。
お母さんから見れぼお子さんは全く自己の分身のようなもの、善悪すべてが自己の資任だと感じても不思議ではありませんが、お子さんがすでに佛になられた今日、あなたのように過ぎ去ったことを繰り返して苦しむのは、ゆきすぎではないでしょうか。」
とまずは説かれているのです。
それから朝比奈老師は因縁を説かれています。
「佛教では、宇宙間のすベてのものごとは、どんな大きいことも、小さいこともそれができるにはできる、続いているには続く、壞われるには壞われる、に必要な条件がすべてそろわなくてはならないと教えます。
その条件のことは佛教では因縁といいます。
古くから因緑は不思議であるというように、この条件の複雑微妙なことは到底人間の知識では量り知られないものであります。
その条件がいまいったように、びたっと揃わなくては一切のものごとは起こらない」というのです。
すべてはいろんな原因や条件があわさってできているのです。
更に「例えばあなたのような場合、一般には母親は育児の上での第一の資任者だと自らも周囲も思っていますが、これにも厳密にいえば無理があります。
人間はもともとそんな全知全能なものではありません。」
というのです。
「そこで、あなたの苦にしていられる、すでにこの世に亡い人に詫びのしようがないという間題です。」
と説かれた上で、
「お釈迦さまも、この間題に苦しまれ、永い年月苦しいご修行をかさねられた结果、お悟りになって、「わが前に不死の門は開かれたり」と喜ばれ、また「自分が安心し喜ベたように安心させてあげることができるのだ、ああ、よかった、よかった」、とお喜びになって佛教の伝道にかかられたのであります。
佛救の肝心なところはそれです。
この悟りは学間的には沢山の名がつけられていますが、私はその中の「佛心」というわかりよい名をとって代表的に使っております。」
とお説きになった上で、仏心の世界を説かれています。
「その佛心は時問的には死に生きを越えて生き通しのもの、空間的には字宙いっばいのもの、また佛心に罪や汚れがないので、いつも浄らかで、いつも静かで、いつも安らかなものです。
だから人間は、このすばらしい佛心の中に生まれ、佛心の中に住み、佛心の中に息を引きとるので、生れる前も佛心、生きている間も佛心、死んだ後も佛心で、佛心とは一秒時もはなれないのです。
お互いはこんなすばらしい佛心の中に生きていながら、眼の前のものごとに心を奪われて、生き死にがあると思い、こうして苦しんでいるのです。
ですから、このお釈迦さまの教えをきいて、坐禅修行して親しく佛心を悟るなり、悟らないでも佛心のあること、この肉体を捨てた後は必らず佛心に帰るのだと固く信ずることができれば、あなたのひっかかっていることも、氷に熱湯をかけたように、自然と解けるわけです。
つまりお子さんは、もうとっくに佛心の世界に入り、慈悲と智慧のかたまりというべき佛さまになっていられるのです。
そこではこの世の中の成功、不成功、幸も不幸も、愛も恨みも、咋夜の夢のようなもの、ましてお母さんが愛するあまり犯した過失など、なんで間題になりましょう。」
と仏心の世界をお示しになっています。
そのあと
「これを聞いてその方も、ほっとした様子でお帰りになりました。
皆さん、いつも申し上げていうように、私は幼い時両親に死別し、親こいしさから、人間は死んだあとはどうなるのだろうと心配し、八歲の年の二月十五日、お釈迦さまの涅槃会に参り、お釈迦さまは死んでも死なないということを聞き、それがわかりたさに十一歲で僧侶になりました。
始めは宗門の習わし通り、每日お経をあげて両親の霊をなぐさめ、喜ばしてあげることを信じていましたが、永い年月、迷ったり苦しんだり、修行したり勉強したりして、迪りついたのがただ今述べた心境です。」
と書かれています。
朝比奈老師の仏心の教えを自覚して、それを説いて、生きるのが老師への一番の報恩であります。
横田南嶺