志を立てる – 天正遣欧使節に思う –
毎月会報誌を送ってくださって、拝読するのが楽しみであります。
森先生の言葉なども毎回掲載されています。
今回は、「立志」について森先生の言葉が掲載されていました。
『修身教授録』に「立志」という章があります。
「志を立てることが、今後一年間を貫く話の根本眼目をなす。
真に志を立てるということは、この二度とない人生をいかに生きるかという、生涯の根本方向を洞察する見識、並ぴにそれを実現する上に生ずる一切の困難に打ち克つ大決心を打ち立てる覚悟がなくてはならない。」
という言葉がありました。
「生涯の根本方向を洞察する見識、並ぴにそれを実現する上に生ずる一切の困難に打ち克つ大決心」という言葉は肝に銘じなければならないと思います。
困難に打ち克つというのは容易なことではありません。
このたび前田万葉枢機卿にお目にかかるにあたって、天正遣欧使節について学び直しました。
ちょうどかまくら春秋社から『図説 天正遣欧使節』という本が出版されたのにちなんでのことです。
「天正遣欧使節」とは、『広辞苑』に
「天正10年(1582)ヴァリニャーノの企画により、九州のキリシタン大名大友宗麟・有馬晴信・大村純忠がローマに遣わした使節。
伊東マンショ・千々石ミゲルを正使、中浦ジュリアン・原マルチノを副使とし、教皇グレゴリウス13世に謁見、同18年帰国。」
と解説されています。
私もその名称くらいしか知りませんでした。
織田信長が本能寺の変で、明智光秀に討たれたのが、天正十年六月二日のことであります。
遣欧使節が日本を旅立ったのは、天正十年の二月であります。
そして帰国したのは、その八年後の天正十八年です。
この八年に日本には大きな変化があったのです。
十三から十四歳の少年達が、船で日本を出て遠くヨーロッパに行くのですから、並大抵の決心ではありません。
大友宗麟・有馬晴信・大村純忠、この方達は、いずれもキリシタン大名と言われる方であります。
大友宗麟は、残念ながら、一五八七年には亡くなっています。
使節が帰国した時には亡くなっていました。
大友宗麟の子大友義統(よしむね)は父宗麟の影響で洗礼を受けましたが、後に棄教しています。
棄教の時期については天正一四年(一五八六)前後ではないかという説があります。
一五八七年の豊臣秀吉の伴天連追放令のころまでには、公然と信仰を放棄していたとされています。
伊藤マンショは、大友宗麟の縁戚筋で、大友宗麟の名代として命をかけてヨーロッパに行き、ローマ教皇にも謁見して帰国したのですが、宗麟は既になくなり、その子大友義統はキリスト教を棄ててしまっていたのでした。
それでも帰国の後にキリスト教を更に学び、マカオに留学し、中浦ジュリアン・原マルチノと共に三人が司祭に叙せられています。
しかし、一六一二年病魔に冒されて亡くなっています。
徳川家康の時代には、慶長一七年(一六一二年)に江戸や駿府など直轄領でのキリスト教を禁止し、慶長一八年(一六一三年)には全国に禁教令を拡大します。
宣教師は国外追放、教会は破壊され、信者は棄教を強制されるのです。
違反すれば処刑されたのでした。
多くの宣教師が国外追放となり、日本人信徒は弾圧されました。
禁教令が出されて原マルチノは、南蛮船に乗って追放される司祭と共にマカオに行きました。
一六二〇年マカオで病死したのでした。
千々岩ミゲルは一六〇一年から一六〇三年頃に棄教しイエズス会から脱会して、結婚し大村藩主の大村喜前に仕えました。
しかし、二〇一六年から千々岩ミゲル墓所発掘の調査が行われ、二〇一九年には報告書が発行されています。
千々岩ミゲル夫妻のものと見られる遺骨が発見され、ロザリオではなかったかと思われるビーズも見つかっているのです。
ミゲルのお墓の見つかったという、長崎の伊木力周辺には、潜伏した信者がいたと伝わっています。
そのことから、棄教したことになっていますものの、最後まで信仰を持ち続けていたのではないかとも想像できるのです。
中浦ジュリアンは、禁教令が出されて、島原半島での神父が捉えられ処刑される出来事を契機に、小倉に移ります。
しかし中浦ジュリアンはついに捕らえられ、長崎の牢に入れられました。
中浦ジュリアンの他に、イエズス会、ドミニコ会の神父と修道士は手を縛られ歩き、西坂に連れてゆかれます。
西坂では役人が処刑の準備をすすめていました。
中浦ジュリアンは、刑場に入ると、「私はローマに行った中浦神父です」と叫んだといいます。
やがて、体を逆さに吊るす穴吊り刑で責められ、64歳で息を引き取ったのでした。
強い志を立てて国を超えた若者達でありました。
しかし国に帰ってからは実に艱難辛苦でありました。
病で亡くなる者、キリスト教を棄てざるを得なかった者、他国に行って生涯を閉じる者、拷問を受けて亡くなる者、実に様々でありました。
森信三先生の言葉を思います。
「志が深くて大きければ、それだけその実現には時を要して、多くはその肉体の死してのち、初めてその実現の緒につくと言つてもよい。
そしてこれがいわゆる「不滅なる精神」、または「精神の不滅」と呼ばれるものである。
この肉体の生きている間に、不滅な精神を確立した人だけが、この肉のからだの朽ち去つた後にも、その精神はなお永遠に生きて、多くの人々の心に火を点ずることが出来る。」
という言葉であります。
かまくら春秋社の『図説 天正遣欧使節』の本を手に取ってその言葉をしみじみと思います。
横田南嶺