命の学び
どういうわけか、午前10時からの対談だと思って朝から支度をしていました。
ところが、それは自分の勘違いで午後からの対談だと分かりました。
午前中の時間が空いたので、その前日に引き続いて、庭木の剪定に励みました。
槙の木が伸びたままだったので、脚立をかけ、木に登って、伸びた枝を剪定してあげました。
おかげですっきりしました。
これまた炎天下ですが、こういう時にはかえって汗を流す方が心地よいものです。
これもまた虫に気をつけながら、それから高い処に登っていましたので、落っこちないように気をつけて行いました。
そして午後から橋本ちあきさんにお目にかかりました。
昨年一度お話させてもらっています。
昨年お目にかかるまで、私は橋本さんのことは存じ上げませんでした。
その折りに、ご著書を頂戴しました。
いただいた本が『自然に産みたい 5人の子供を自宅出産した記録』という題でした。
その題を見て、これは出産の本だと思い、私には関係がないと思って、読まずにそのまま置いていたのでした。
今回対談にあたって、いただいた本を読んでいなければ失礼だと思って読んでみました。
はじめは出産には関係ないと思って、乗り気ではなかったのですが、第一章を読んだあたりから、引き込まれるように読みふけってしまいました。
これは素晴らしい本だと感動しました。
今まで出産だから関係ないと思っていた自分が恥ずかしくなりました。
出産が関係のないはずはないのです。
なんとなれば、私自身が出産してもらったからこそ今生きているのです。
出産というのは、命の誕生であります。
命の問題を考えるときのいちばんおおもとになることであります。
まさにこれは命の学びなのです。
初めての子が授かって、橋本さんご夫婦は自宅で出産することを決めます。
その理由が著書に書かれています。
「昔の人たちはみんな自宅出産だったわ」
「自分だけの出産も、動物はみんなやっているんだから、私にだってできないはずはない」
「特別な道具や用具はいらないはずよ。だって昔はなかったんだから……」。
こんな実に単純な発想なのですから驚きであります。
そんな橋本ちあきさんというのは、どのような人なのか、著書の略歴には次のように書かれています。
「1953年、愛媛県に生まれる。
1978年に結婚。
1981年、自然な環境と食、簡素な暮らしを求めて、東京から福島県いわき市の過疎の山村に移り住む。
五児を自宅出産。
子育てしながら、自然生活、穀菜食を実践研究、普及活動に力を注ぐ。
自らの体験をもとに、食や教育にまつわる相談、執筆活動も行う。
家庭を生活塾PAS(Planetary Alternative Society)(パス)と名付けて、子供や若者たちと一緒に暮らす。」
と書かれています。
対談の日も、その前日まで八ヶ岳で一週間にわたる半断食セミナーをやっておられたのです。
お疲れではないかと察しましたが、とてもお元気でありました。
マクロビオティックを実践されていらっしゃいます。
マクロビオティックについては、私は全く知識がありませんでした。
玄米菜食のことかなと思うくらいでした。
ちょうどはじめ塾の『幸せをつかむ力 はじめ塾80年のキセキ』を読んでいると、和田正宏さんのところに出ていました。
正宏さんがアメリカ留学中に、マクロビオティックの指導者として知られる久司道夫さんの自宅で下宿していたと書かれています。
そこで正宏さんは本格的にマクロビオティックを学んだというのです。
マクロビオティックというのは、欧米のものかと思っていましたが、日本人の桜沢如一(さくらざわゆきか、1893–1966)が提唱し、世界に広めた、食を中心とした健康法であり生活哲学なのです。
マクロビオティックは「身土不二」「一物全体」の考えに基づいています。
身土不二というのは、人間の身体は、その人が生まれ育った土地の気候・風土・食べ物と深く結びついていることです。
したがって、その土地の旬の食材を食べることが、最も自然で健康的だと考えます。
一物全体とは、自然の食べ物は丸ごと(全体)で一つの完全な調和を持っており、部分だけを食べるのではなく、できる限り全体を食すのが望ましいという考え方です。
米なら玄米、即ち籾殻を取っただけの全粒を食べます。
野菜なら葉、根、皮を含めて丸ごと使っていただきます。
魚なら骨、頭、皮まで食べられる範囲で利用します。
修行道場では麦ご飯なので、玄米ではありませんが、野菜は皮ごといただきますので、似通ったところもあります。
もっとも修行道場では、身体の為というよりも、いただいたものを粗末にしないように全部いただくという考えであります。
5人の子供を自宅で出産してゆく話には引き込まれます。
自分もその場に立ち会っているような感覚に見舞われます。
2人目に時には、ご主人も不在で、二歳の娘さんしかいない状態で出産されたのです。
これには驚きであります。
動物は自分で産むといいますが、人間では難しいと思いました。
もっとも橋本さんは、「若気の至りで決して人に勧められるものではない」と仰っていました。
命の危険にさらされるように思い病に罹って、死を覚悟されたときにも医者にはかからずに、瞑想や呼吸法、そして軟酥の法で治したというのですから、これにも驚きました。
堪えがたい苦痛を軟酥の法で克服して治されたのです。
私などが、なんでもない平常の時に行うのとは訳が違います。
対談は二時間の予定が、話が弾んで三時間になりました。
はじめ塾のこともとてもよくご存じでありました。
とても私には及ばぬ方だと思いました。
夕方からは同帰施餓鬼といって、修行中になくなった修行僧の為の施餓鬼法要を行いました。
午前中は庭木の剪定に汗を流し、午後からは橋本さんと対談し、夕方からは施餓鬼の法要つとめ、命について学んだ充実した一日でありました。
横田南嶺