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臨済宗大本山 円覚寺

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2025.08.07
今日の言葉

禅定から智慧へ

花園大学での政道徳門老師のご講義を拝聴して、とても多くのことを学びました。

とくに政道老師は、伝統の禅の修行だけでなく、上座部仏教の修行にも造詣が深いので、私などにはない一面がございます。

今回印象に残った蚊に刺されたときの意識の向け方もそうでした。

ご講義の終わったあとに、学長室で、大学の学長や学園の学園長と共に政道老師と昼食をいただきました。

その折りに、蚊に刺された時の話について、おうかがいしました。

それは禅の修行で教わってきた方法なのか、老師独自のご指導なのかということです。

やはり、これは老師ご自身で独自にお考えになった指導法だということでありました。

仏教では「止観」という事を説いています。

岩波書店の『仏教辞典』には、

「心を外界や乱想に動かされず静止させる(止)と、それによって正しい智慧をおこし対象を観ずる(観)とをいい、戒定慧(三学)の<定>と<慧>に相当するが、<止>と<観>とは互いに他を成立させて仏道を完(まっと)うさせる不離の関係にある。」

と解説されています。

松居桃樓さんの『微笑む禅』には、

仏教で大事な諸悪莫作衆善奉行を

「一粒でも播くまい、ほほえめなくなる種は
どんなに小さくても、大事に育てよう、ほほえみの芽は」

とわかりやすく意訳してくれています。

そして「この二つさえ、絶え間なく実行してゆくならば、人間が生まれながらに持っている、いつでも、どこでも、なにものにも、ほほえむ心が輝きだす。

人生で、一ばん大切なことのすべてが、この言葉の中に含まれている。

人間は、どうしたらニコニコになりきれるか?

ひと口にいえば、「感情を波だたせないこと」と、「思考力を正しく働かせること」の二つきり。

なぜならば、よきにつけ、あしきにつけ、何かが気になってたまらないのは、あなたの感情が、波だっている証拠。

ああか、こうか、と迷うのは、思考力が正しく働いていないからだ。

感情が波だっていては、色めがねでしか、ものが見えず、思考力が正しく働いていないと、もののうわべしかわからない。

感情が波だっていなければ、どんなことにも動揺せず、思考力が正しく働いておれば、如何なる難問題も解決できる。

あなたが、感情をしずめ、思考力を正しく働かせることができたならば、自分もしあわせ、周囲の人々もしあわせ。何をやってもまちがいない。」

と説かれています。

感情を波立たせないことが集中であり、正しく思考力をはたらかせるというのは観察であります。

私などは、呼吸ならば呼吸に集中することだけを教わって修行してきました。

ひたすら長く吐くことに心がけて、その吐く息に全身全霊を集中させるのです。

そうすることによって、蚊が飛んできたとか、蚊の羽音がするとかが全く気にならなくなるのです。

この深い集中は喜びをもたらしてくれます。

ただし、これには全身全霊をあげて取り組む、気力と体力が必要です。

集中力を養うことが不可欠であります。

一呼吸を見つめて意識を反らさないように集中するのです。

それに対して、政道老師が示された方法は、観察であります。

蚊が飛んできて、それが気になって呼吸に集中できないという修行僧に対して、政道老師は、観察することを教えられました。

呼吸を見つめていて蚊が飛んできます

プーンという音がして、それに自分が反応したら、一旦呼吸から心を離してもいいですと教えられました。

そして、その気になっている音をずっと聞きなさいというのです。

その音に反応して自分の心がどういう風に変わっていくか、それをはっきり見届けなさいと示されたのです。

止まって血を吸って、やがて蚊が離れて飛んでいきますが、その後に刺された部分が痒かったり痛かったりしたりいろんな感覚がしてきます。

その感覚を細やかに見つめ、それに対する心の反応も細やかに丁寧に見ていきなさいと指導されました。

呼吸をみつめるのと同じように、蚊に対する自分の心の反応を見つめていくという方法です。

呼吸も「蚊」もそれに反応する心もすべて法として捉えることになるのです。

これでその修行僧の坐禅がガラッと変わって深まったという話でありました。

これが智慧の眼なざしでみるということなのです。

その修行僧は蚊が大嫌いで、蚊が飛んできたらそれに心がイライラしてしまうのですが、蚊の羽音も、蚊に刺された感覚も法として見つめていったのです。

それをしただけで、ガラッと変わるという話でした。

我々人間が持っている素晴らしい智慧のまなざしなのです。

禅文化研究所から出している『新・坐禅のすすめ』には、政道老師が『坐禅儀』をご講義してくださっています。

その中にこんな一節がありました。

「呼吸の成りゆきに身と心を任せ切ることによって智慧が生じ始めます。

智慧が生じてくると、呼吸の本来の姿を生き生きと観るようになります。

この訓練によって、やがて心に生じる一切のものに対して善惡の判断をしたり、執着したりするということがなくなっていき、「一度生じたものが自然に滅し、次に生じたものも又滅する……」ということが淡々と繰り返されるようになります。

ここに至って、嫌うベきものは何もなく求めるべきものも有りません。

全てが滞りなく、自然の法則に順って進んでいきます。

人間の計らいの及ばない世界です。」

と説かれています。

ひたすら意識をひとつに集中してなりきっていって、ふと何かの拍子にハッと気がついて智慧が生じるという道もあります。

私などは長年その訓練をして参りました。

しかし、伝統的には、止と観の二つ、禅定と智慧のふたつは連関しているものであります。

また政道老師がお示しになった方法でより一層坐禅が深まり、公案にも集中できるようになっていくのだと察します。

人によって、集中が苦手な人がいたり、観察する方がいいという人もいると感じます。

いろんな人に応じて方法を持っていることも大事だと学びました。

ご講義の最後に仰せになったことばも深いものでありました。

大学でいろんな授業があって、いろんな講義を聞いて仏教を学んでいると思います。

仏祖の言葉を学んでいると思いますが、一番大事なのはその中に見え隠れしている智慧のまなざしを受け取るということです。

この智慧のまなざし、仏様のまなざしは言葉にできないのです。

文字にできないのです。

文字で表現ができないから、それを伝えようとしてたくさんのお経ができました。

大学の図書館には膨大な数の本があります。

あれは仏祖が今までこの仏様のまなざし、智慧のまなざしをどうにかして言葉にしようと努力してきた結果、あれだけの書物になったのです。

しかし、この智慧のまなざしを文字で表現することには誰も成功していません。

成功してないからあれだけの書物になったといえます。

どのお経も智慧のまなざしについて説いていますし、禅の数々の語録も皆智慧のまなざしについて説かれています。

もちろんいろんな言葉について勉強することは大切です。

文字を理解することも大切ですが、本当はその文字によって何を言いたいのか、何を伝えたいかということを学ばないといけません。

それは智慧のまなざしなのだと説かれたのでありました。

一日京都にでかけてたくさんの教えを学ぶことができました。

 
横田南嶺

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