icon_arrow-r_01 icon_tryangle icon_search icon_tell icon_download icon_new-window icon_mail icon_p icon_facebook icon_twitter icon_instagram icon__youtube

臨済宗大本山 円覚寺

臨済宗大本山 円覚寺

  • 円覚寺について
  • 拝観案内・アクセス
  • 境内案内
  • 年間行事・法要
  • 管長のページ 2025.07.27 更新
  • 法話会・坐禅会・
    写経会
  • 御朱印・御祈祷
  • 円覚寺売店
  • お知らせ
  • Q&A
  • リンク

© 2019 ENGAKUJI
ALL RIGHTS RESERVED.

お問い合わせ

2025.07.26
今日の言葉

延命十句観音経

名古屋の愛知尼僧堂で、講演をしました。

九十分の講座を三回お勤めさせてもらいました。

最後の講座は、延命十句観音経についてお話しました。

管長になるまで私は、坐禅だけを行ってきたものです。

坐禅さえしていればそれでいいと思っていました。

それが管長に就任して翌年に東日本大震災にみまわれました。

甚大な被害については今改めていうまでもありません。

地震、津波に、原子力発電所の事故も伴って、皆が不安になっていたのでした。

円覚寺でも早くから修行僧たちをはじめ和尚様方が現地にボランティアに行ってもらいました。

救援物資などをもって行ったのでした。

私は見送るたびに、何かほかにこちらの気持ちが伝わるようなものはないか、考えました。

そして延命十句観音経の写経を思い立って、下手な観音さまの絵を添えて延命十句観音経を色紙に写経して、被災した寺院などに届けてもらいました。

各寺院とも喜んでくださったようです。

それ以来毎日、延命十句観音経の写経をして、追悼と復興を祈ることにしました。

お身内で被災した方がいらっしゃると差し上げたりしていました。

修行道場では普段から薪でご飯をつくっています。

そこで現地で炊き出しもやってもらいました。

避難所には、お身内を亡くされた方も多く、色紙の観音さまを本尊に見立てて御経を誦んだところ、涙を流して感謝されたと言っていました。

そんなことを思い起こします。

延命十句観音経は、震災の前からもよく唱えていたのですが、震災を機に改めて見直すようになりました。

震災があって数ヶ月したある晩のこと、気仙沼のお寺から私に電話がありました。

気仙沼は津波で大変な被害がありました。
 
その寺でも大勢のお檀家が亡くなり、最近再建されたばかりの諸堂が、本堂の柱と屋根を残してすべて流されたそうです。
 
そんな折りに、円覚寺の修行僧が来て、私の書いた延命十旬観音経が届けられたのです。

その和尚もどうしようもない絶望のどん底で、この延命十句観音経を唱えて頑張ろうと思ったと、電話で涙ながらに語られました。

和尚も臨済宗の方であり、修行道場で修行も積まれた立派な布教師でもあります。

しかし、そんなどうしようも無いときには、やはり「観音さまどうか、お助けください」と祈るしかなかったのでした。

そして震災からちょうど二ヶ月経った五月十一日、円覚寺派被災寺院のお見舞いに私も出かけたのでした。

津波に遭った現場を目の当たりにして言葉を失ったものでした。

大自然を前に、ただ謙虚に祈るしかないことを痛感しました。

それからは、本山で法話をする度に専らこの延命十句観音経を講話していました。

ほぼ一年何十回と話す内に、さらに短い意訳が口を継いで出てまいりました。

それが「延命十句観音経 意訳」であります。

観音さま
どうか人の世の苦しみをお救い下さい
人の苦しみを救おうとなさる
その心こそ仏さまのみ心であり
私たちのよりどころです
この仏さまの心が
私たちの持って生まれた本心であり
さまざまなご縁にめぐまれて
この心に気がつくことができます
仏さまと 仏さまの教えと
教えを共に学ぶ仲間とによって
わたしたちはいつの世にあっても
変わることのない思いやりの心を知り
苦しみ多い中にあって
人の為に尽くす楽しみを知り
この慈悲の心を持って生きることが
本当の自分であり
汚れ多き世の中で
清らかな道であると知りました
朝に観音さまを念じ
タベに観音さまを念じ
一念一念 何をするにつけても
この思いやりの心から行い
一念一念 何をするにつけても
観音さまの心から離れません

気仙沼のお寺には震災から一周年の時にようやくお参りが出来ました。

まだ足の踏み場も無いような本堂に、お亡くなりになったお檀家百五十名ばかりの遺影が祀られていました。

こちらからお持ちした観音像を奉安して諷経してまいりました。

その後に、私が作成した延命十句観音経意訳を、地福寺の和尚様が寺で皆で唱和なさってくれていることを知りました。

そこで更に唱えやすいように、延命十句観音和讃を作成したのでした。

 『延命十句観音和讃』
大慈大悲の 観世音
生きとし生ける ものみなの
苦しみ悩み ことごとく
すくいたまえと いのるなり
苦しみのぞき もろともに
しあわせいのる こころこそ
われらまことの こころにて
いのちあるもの みなすべて
うまれながらに そなえたり
ほとけの慈悲の 中にいて
むさぼりいかり おろかにも
ほとけのこころ 見失い
さまようことぞ あわれなる
われら今ここ みほとけの
みおしえにあう さいわいぞ
おしえを学ぶ 仲間こそ
この世を生きる たからなり
われを忘れて ひとのため
まごころこめて つくすこそ
つねに変わらぬ たのしみぞ
まことのおのれに 目覚めては
清きいのちを 生きるなり
朝に夕べに 観音の
みこころいつも 念ずなり
一念一念 なにしても
まごころよりは おこすなり
一念一念 観音の
慈悲のこころを 離れざり

という和讃です。

今も日曜説教の折に皆さんでおとなえしています。

延命十句観音経は、「観世音 南無仏 与仏有因 与仏有縁 仏法僧縁 常楽我浄  朝念観世音 暮念観世音 念念従心起 念念不離心」というわずか四十二文字のお経です。

初めの第一句が、「観世音」です。

これは観世音菩薩、即ち観音様です。

仏教にはたくさんの仏様や菩薩方が説かれていますが、どれも仏様の心、悟りの心を表しています。

「観世音」とは、世間の人々の声を観るのです。

観るというのは心でよく見る、心でよく聞くことを表します。

『観音経』には、もし世間の人が様々な苦悩を受けて、観音様のお名前をお唱えすれば、観音様はその声を聞いて皆必ず救って下さると説かれています。

人間には様々な苦悩がございます。

どうしようもない苦しみ悩み悲しみを抱えていると、どうか観音様お救い下さいとお願いする気持ちになることがございます。

そんな時にその声を聞き取って救いの手を差しのべて下さるのが観音様です。

人々の苦悩を救ってあげたいという心、これこそが仏様のお心です。

そして仏教でさらに大切なことは、この仏様の心は何も特別な仏菩薩方だけが、お持ちになるものではなく、あらゆるいのちあるものみんな仏様の心を持っているということです。

私達の本心は誰しもみな仏様の心です。

ただ自分勝手なわがままな欲望、妄想や思いこみによって、本来持って生まれた仏様の心を見失っています。

「観世音」と第一に呼びかけますのは、観音様に救いを求めると同時に、私達の本心である、仏様の心を呼び戻すことでもあります。

そんなことから話を始めて講座を務めました。

終わって青山老師にご挨拶をして、尼僧堂をあとにしました。

お元気な青山老師にお目にかかれて、老師のもとで学ばれる多くの尼僧さんや、熱心な信者さんたちに接することができて、とても有り難いことでありました。

私も久しぶりに延命十句観音経の話をすることができ感謝の気持ちでいっぱいです。

 
横田南嶺

延命十句観音経

前の記事
次の記事

カテゴリー

  • 僧堂提唱(37)
  • 坂村真民 詩(89)
  • 掲示板 (今月の詩)(31)
  • 今日の言葉(2152)
  • 今日の出来事(164)
臨済宗大本山 円覚寺

〒247-0062 鎌倉市山ノ内409  
TEL:0467-22-0478

  • 円覚寺について
  • 拝観案内・アクセス
  • 境内案内
  • 年間行事・法要
  • 管長のページ
    • 管長侍者日記
    • ビデオ法話
    • 回覧板 (おしらせ)
  • 法話会・坐禅会・写経会
  • 御朱印・御祈祷
  • お知らせ
  • リンク
  • 円覚寺売店
  • Q&A
  • お問い合わせ