悟るものなし
毎年のように午前十時から法要を営みます。
そのあと、私は十一時から本山のお檀家さんの法要に出ました。
そして午後からは、世田谷区野沢の龍雲寺様に行って参りました。
龍雲寺のダンマトークという会が開催されていました。
私も毎年講師を務めさせてもらっていますが、今回の講師は小川隆先生であります。
これは是非とも拝聴しなければと思って参りました。
龍雲寺の細川さんにお願いすれば聴講させてもらえると思いましたものの、やはり生徒として聴講するのですから、申し込みをしようと思って、龍雲寺のホームページから申し込みを済ませたのでした。
この頃はこういうことも出来るようになって参りました。
その日はかなりの暑さでしたが、龍雲寺様の本堂は冷房が効いていて汗をかくこともなく受講することができました。
今回の題は、「龍雲寺蔵白隠禅画で学ぶ禅入門」というものです。
龍雲寺さまにはたくさんの白隠禅師の禅画がございます。
その絵と、そこに書かれている讃をもとにして、小川先生が解説してくださるのですから、これは楽しみなのでありました。
拝聴して九十分のご講演は、その構成や内容が実に豊富で、そしてなんといっても小川先生が楽しく話をしてくださいますので、引き込まれてゆきます。
よく使われる表現ですが、ほんとに九十分があっという間なのであります。
サブタイトルが、「ダルマは、西から何しに来たのか」というものでした。
まず「直指人心見性成仏」という讃の書かれた達磨大師について話が始まりました。
「直指人心見性成仏」は、達磨大師の讃の中でも最も多いものです。
これは人の心を直に指して、本性を見て成仏せしむるという意味であります。
中国の言葉では主語が省略されることが多いのですが、この「直指人心」するのは達磨大師その人であります。
しかし、「見性成仏」するのは、その心を指された当人なのです。
このことをかつて、只今花園大学仏教学部教授の小川太龍先生のお若い頃に、小川隆先生が聞いたことがあったそうです。
「見性成仏」する、その主語は誰と聞いたら、若き日の小川太龍先生は「私です」と答えられたという話には、感動しました。
小川太龍先生は、臨済宗の僧侶として修行もされ、学問もなさって今花園大学仏教学部の教授になっておられる方であります。
これは明答であります。
達磨大師が何をしに来たのか、馬祖禅師は、「自らの心是れ仏、此の心即ち是れ仏なり」ということを伝えにきたのだとはっきり説かれています。
それは黄檗禅師も同じであり、「一切の人全体是れ仏なること」を直指されたのです。
この「全体」というところが大事であって、まるごとすべてなのであります。
馬祖禅師以前の教えでは、自らの心の中に仏として本性があり、その清らかな心に煩悩が覆いかぶっているので、その煩悩を取り除いて仏になると説かれていたのでした。
それが馬祖禅師は、迷いの心、悟りの心を区別することがそもそも余計なことだと説かれました。
迷いだ悟りだという区別なしに全体まるごとが仏だと説かれたのです。
そこで『沙石集』の言葉を引用されていました。
「また、禅門には、〝直指人心、見性成仏〟といへり。
詞(ことば)に随ひて義をとらば、性を見て仏と成ると覚えたり。
然るに実はただ知見の性、これ本より仏なりと云ふ心地明らむる計(ばか)りなり。」
というのです。
これはよく馬祖の禅の本質を言い得ています。
自己の本性を見るといっても、見る者と見られる本性と分かれているのではないのです。
見ているもの、そのものが本性なのであり、それがそのまま仏なのであります。
見るというはたらきが仏としての作用の現れなのです。
そして、この事実は達磨大師が西から来る前も変わらないのであります。
薬山禅師は達磨大師が中国に来る前にも西来意があったかと問われて「有り」と答えています。
祖師西来意というのは、己の心がもともと仏であるという事実にほかなりません。
それは達磨大師がインドから来ようが来まいが本来仏であるというのは事実です。
その事実がもともとあったので、達磨大師はその事実を指し示されたのです。
臨済禅師は逆に達磨大師が来たからといって西来意などは無いと説かれていました。
薬山禅師の説と矛盾するようにみえますが、言わんとするところはひとつです。
本来仏であるので、何も加えるようなものはないのです。
達磨大師が西から来る前から本来仏であるという事実があったというのと、本来仏であるから、なにもわざわざ伝えるものは無いというのは、同じことを言っています。
それから白隠禅師が描かれた楊柳観音の讃に触れられました。
これが珍しい讃です。
「笠がよく似たすげがさが」と書かれています。
この讃のもとになるのは、お夏清十郎の物語であります。
芳澤勝弘先生は花園大学国際禅学研究所のサイトで公開されている「龍雲寺コレクション 白隠の禅画と墨蹟」で、次のように説かれています。
「江戸時代に流行った「清十郎節」の一節である。
「清十郎節」のもとになったのは次のような話である。
寛文元年(1661)ごろ、姫路の旅籠但馬屋の手代清十郎が主家の娘お夏と密通し、大坂へ駆け落ちしたが捕らえられ、清十郎は処刑され、残されたお夏は発狂したという事件があった。」
というのです。
清十郎が恋しいお夏は、笠をかぶった姿を見ると、みな清十郎の見えたのです。
そこから小川先生は悟りの眼が開けると、目に触れるものはみな真実に見えると解説されました。
みんな仏性そのもののはたらきに見えるのであります。
どの人もどの人もみんな仏性そのものだと見えるというのが、観音様の慈悲の本質だということを、讃で表しているのであります。
仏の心というのは、体のどこかに内在しているというのではなく、どこもかしこにも充満しています。
その仏の心の現れが、私たちの生きた活動なのです。
沢木興道老師の『禅談』にある道歌も心に残りました。
「悟りとは悟らぬ前の迷なり悟りて見れば悟る物なし」
という道歌です。
悟らぬ前に、なにか悟りのようなものがあると思うのですが、それは迷いにほかなりません。
気がついてみればなにも悟るものはないのです。
ご講演の前と後に、小川先生にご挨拶できたのですが、小川先生は「いつもの話で」と仰せになりますものの、やはり拝聴すると毎回いろんな気づきがあるものです。
その日の前日は禅文化研究所の評議員会で京都日帰り、その日も午前中に二つの法要を済ませて、暑い中でしたが出かけてよかったとしみじみ思う小川先生のご講演でありました。
「悟りて見れば悟る物なし」とつぶやきながら足取り軽く帰路についたのでした。
横田南嶺