ゆき過ぎはよくない
禅文化研究所所蔵の墨蹟を紹介してお話しています。
絵を紹介するのと、書を紹介するのと、月ごとに交互に行っています。
先日は、春叢紹珠の郭巨図を解説しました。
絵には、大きな鍬と釜が描かれています。
絵を描いた春叢禅師の事や、画題となっている郭巨の話をしたのですが、肝心のなぜ鍬と釜が描かれているのかの説明が不十分でありました。
そこで、ある方から、なぜ鍬と釜なのですかと問われて、説明の不十分だったことに気がついたのでした。
絵と讃を描いたのは、春叢紹珠禅師。
豊後、大分県の方です。
一一歳で地蔵寺の大百丈、大百智丈という方について出家しました。
一八歳で行脚に出て。蘭山・天猊・大休・霊源などの禅師について修行を重ねました。
蘭山禅師は古月禅師の法を継がれています。
天猊禅師、大休禅師、霊源禅師は皆白隠禅師のお弟子であります。
そんなお歴々について修行を重ねて、白隠禅師の高弟である遂翁元盧禅師から印可を受けています。
三五歳で、阿波(徳島県) 慈光寺に住しました。
文化一一年(一八一四)紫衣を勅賜され、山城(京都府) 八幡円福寺僧堂で修行僧を指導されました。
文政六年(一八二三)七三歳で妙心寺四七〇世となっています。
天保六年(一八三五)八五歳、大鑑広照禅師と勅賜されています。
そんな方が、鍬と釜を描いて、讃に
「孝は百行の本」と書いています。
「孝行はもろもろの善行の基である」という意味です。
さて絵に描かれているのは「郭巨」という方の故事であります。
二十四孝の一人で、後漢の人であります。
とても家が貧しかったのでした。
親孝行なので、お母様に食事を差し上げています。
ところが、そのお母様がご自分の食事を孫に与えてしまうのです。
孫というのは、郭巨の子であります。
そこで郭巨は、母が十分に食べられないのは、孫に与えてしまうからなので、その孫である我が子を埋めてしまおうと思ったというのです。
まだ三つの子を埋めてしまおうと、鍬で穴を掘ったら、黄金の釜が出てきたのでした。
黄金の釜には、
「天は孝子郭巨に賜う」と書かれていました。
「天が孝心に報いたものである」と刻まれていたのでした。
その黄金で母を養い、子どもも育てることができたという話であります。
郭巨が子を埋めようとしたら、黄金が出てきたとYouTubeで解説したのですが、鍬と釜の説明が不十分でありました。
なぜ鍬と釜かと問われて反省した次第であります。
禅文化研究所YouTubeでは、コメントも書けるようになっていますので、何人かの方がコメントを書いてくださっています。
中には「現代なら児童相談所に通報案件です」という言葉もありました。
たしかにその通りであります。
私もYouTubeでは、この話自体は現代には通じるものではないと伝えておきました。
ゆき過ぎた孝行というのは、よくありません。
ジャータカにはべッサンタラの話があります。
昔インドのシヴィ国に太子が生まれました。
べッサンタラと名付けられました。
べッサンタラは、幼い頃から慈悲心が厚く、とにかく布施したいという願いが強いのでした。
あらゆる人の願いに応じてさまざまなものを与えていました。
あるとき、とある国王が飢饉に苦しみ、幸福と繁栄をもたらす白象を欲しいと言われました。
べッサンタラは白象を施してあげました。
それを知った国民に不満の声がうずまき、父王であるサンジャヤは、べッサンタラをお城から山中に追放してしまいました。
妻のマツデイーと子供二人とともに城を出ましたが、それからもバラモンたちに乞われるままに財宝や車を与え続けました。
カーリンガ王国のバラモンのジュージャカは若い妻にけしかけられて下男下女がほしいとべッサンタラに望みました。
べッサンタラはジュージャカの願いに応じて王子ジャーリとその妹カンハージナーを与えてしまったのでした。
サッカ神は「布施の完成の極み」を得させようとして一計を案じました。
みずからバラモンに化身してべッサンタラのもとに赴き、「あなたの奥方をいただきたい」と乞いました。
べッサンタラがためらわず妃を差し出そうとしました。
妃も夫の施しの偉大さを理解してまつたく動揺しないのでした。
それを見たサッカ神はその身を明かしてマッディー妃をべッサンタラに返し、願いがあればかなえてあげようと言いました。
べッサンタラはわが宮へもどる自分を父王が喜んで迎え入れてくださるように願いました。
更にジュージャカに連れられたジャーリとカンハージナーは祖父のサンジャヤ王に会い、実情を訴えました。
反省したサンジャヤ王は盛大な行軍とともにべッサンタラ太子を迎えに行きました。
家族は再会し、サンジャヤ王は太子にわび、王位を太子にゆずりました。
べッサンタラは王となり、死後は天上に再生したという話です。
そのときの王サンジャヤはスッドーダナ(浄飯)大王であり、べッサンタラは実は世尊その人であつたというのであります。
これも我が子や妻までも施そうというのは、現代では到底受け入れられるものではありません。
もっとも吾が身を虎に施したという捨身飼虎の話も仏教にはあります。
布施の精神は尊いもので、大切にしないといけませんが、これまたやはり何事もゆき過ぎはよろしくないと思うのであります。
横田南嶺